アンライバルド、スリーロールスらと新馬戦で戦ったブエナビスタ
アンライバルド、スリーロールスらと新馬戦で戦ったブエナビスタ

 競馬ファンならば一度は観戦してみたいもの。それが「伝説の新馬戦」だ。のちのG1馬たちがデビュー戦で激突したレースを指して使われることが多いフレーズだが、もし生で見られたならば後々まで自慢の種になること間違いなしだろう。今回はそんなレースたちを振り返ってみよう。

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「伝説の新馬戦」として最も有名なレースは、2008年の菊花賞当日に京都競馬場で行われた芝1800m戦だろう。なんとこのレースでは1着馬から4着馬のうち3頭が翌年にクラシックホース、残り1頭もダービー2着馬となった。

 1番人気に推されていたのは牝馬のブエナビスタ。母は阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)でエアグルーヴを下したビワハイジで、父は名馬スペシャルウィーク。半兄にもアドマイヤジャパン、アドマイヤオーラと活躍馬が揃っていた。

 しかしブエナビスタは後方からのレースとなり、直線ではのちに何度も披露した豪脚を見せたものの3着まで。レースを制したのは好位からそつなく抜け出した3番人気アンライバルドで、2着には2番人気リーチザクラウンが流れ込んだ。さらにブエナビスタを挟んでの4着は8番人気のスリーロールスだった。

 このアンライバルドも超良血馬。半兄にダービー馬フサイチコンコルド、甥に皐月賞馬ヴィクトリーがいる。この次戦で3着に敗れたものの、翌年は3連勝で皐月賞を制した。

 ブエナビスタと同じスペシャルウィーク産駒のリーチザクラウンはG1制覇にこそ届かなかったものの、ダービーではロジユニヴァースの2着。そしてブエナビスタは次走から5連勝で阪神JF、桜花賞、オークスを制し、古馬となってからも天皇賞(秋)やジャパンカップを牡馬相手に勝つなど時代を代表する名牝として長く活躍を続けた。

 スリーロールスはこの後もしばらく低迷が続き、春のクラシックでブエナビスタらが活躍して「あれは伝説の新馬戦だった」と言われるようになっても蚊帳の外のままだった。ところが秋に条件戦を勝って挑戦した菊花賞では8番人気ながらリーチザクラウンらを下して優勝。これでようやく「伝説の新馬戦」の一員に加わったのだった。

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デビュー戦からの“ライバル関係”も