高市氏も流入型だ。1961年生まれ。神戸大学卒業後、松下政経塾を経て、米国連邦議会で働いた後、亜細亜大日本経済短期大学専任教員になった。

 政治評論家として活動していた92年の参院選奈良選挙区で、自民党公認を求めたが、県連拡大役員総会での候補者選定の「選挙」に敗れ、無所属で出馬し、落選。93年衆院選奈良全県区で無所属で初当選し、94年には自民党を離党した柿澤弘治氏らと新党「自由党」を結党した後、新進党に参画した。

 小選挙区制度で初めて行われた96年10月の衆院選では新進公認で再選したが、直後に離党。その際の会見では「有権者から見たら、許しがたいだろうが言い訳はしない。『新進党だから』と高市の名を書いた人にも書かなかった人にも背信行為といわれても仕方ない」と陳謝した。

 衆院での首相指名選挙で自民の橋本龍太郎総裁に投票したことから「自民への入党はあるのか」と記者から問われ、「投票したのは入党が前提ではない。示した公約を橋本党首がのんでくれたから。税制や人権問題など、ひとつひとつの政策については違いがあり、無条件に橋本内閣支持ではない。引き抜き工作もない」と語っていたものの、同年末には自民入りした。

 単独過半数をめざす自民党が、新進党を切り崩す中、高市氏もターゲットの一人になっていた。

《安倍1強時代が終焉した今も、自民党が強者であり続けるゆえんは何か? 『自民党の魔力』(朝日新書)では元四役の重鎮・二階俊博氏についても詳述している》