選挙期間中に安倍晋三元首相が銃殺されるという災禍に見舞われながらも、参院選は自民党が圧勝した。選挙の強さが際立つ同党で政権運営の中核を担っているのは、四役と呼ばれる幹部たちだ。実は四役のうち、高市早苗政調会長と茂木敏充幹事長はまだ政治家ではない頃に朝日新聞に登場している。高市氏が初めて紙面に登場したのは短大専任教員だった28歳の時で、経営学の専門家としてコメントを寄せていた。茂木氏は政界進出前、経済評論家としてたびたび朝日新聞に寄稿していた。どのような内容だったのか。朝日新書『自民党の魔力』(蔵前勝久著)から、一部を抜粋して紹介する。(文中の肩書は当時のもの)

【写真】安倍氏の自宅前で遺体が乗った車を待つ高市早苗氏ら

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■日本新党から自民党入りした茂木氏

 自民党には四役と呼ばれる幹部がいる。幹事長、総務会長、政務調査会長、選挙対策委員長のことだ。21年衆院選後の四役4人のうち、3人はかつて自民党以外で初当選した流入型である。

 幹事長の茂木敏充氏は栃木県足利市生まれ。1978年に東京大学を卒業後、丸紅に入社。米国ハーバード大学大学院で公共政策を学んだ。読売新聞記者を経て、マッキンゼー社コンサルタントに。経済評論家時代は朝日新聞栃木版にたびたび寄稿するなどしている。

 91年元日の栃木版「私の年賀状」という企画に、こんな原稿を寄せている。

◆ボーダーレス時代の経済評論家として活躍する茂木敏充さん(35)
【21世紀へのボーダーレスの10年、日本は外に「共通性」を求め、内には「多様性」を実現しなければならない。東京では過剰な投機経済を是正し、地方には個性と活力ある新しいライフスタイルを確立することだ。そして、このボーダー(境界)に位置する北関東と栃木は、「(経済が)強くなければ生きていけない、(生活に)やさしくなければ生きていく資格がない……」。この名探偵フィリップ・マーローの言葉は、90年代の栃木にこそ求められるべきだろう。】

 茂木氏は91年5月、自民党に入党し、93年の衆院選で、自民党からの出馬を試みたが、選挙直前に離党した。その際の会見では「自民党を変えることで日本の政治を変えるのが近道だ、と思っていたが、それは不可能だと感じるようになった」と述べ、「政権を担える保守政党がもう一つ必要だと思うが、(自民党が分裂状態の)現在の政治情勢なら現実味を帯びてきた」と強調。その後、日本新党の公認を得て初当選した。

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女性議員に厳しい注文をつけていた高市氏