三浦英之・阿部岳著『フェンスとバリケード 福島と沖縄 抵抗するジャーナリズムの現場から』(朝日新聞出版)※Amazonで本の詳細を見る
三浦英之・阿部岳著『フェンスとバリケード 福島と沖縄 抵抗するジャーナリズムの現場から』(朝日新聞出版)
※Amazonで本の詳細を見る

 初めて? 国はここに汐凪が眠っていることを知らずに、計画を進めていたのか? 木村は強い衝撃を受けた。

 国は故郷に原発を建て、爆発事故で汚染し、さらに汚染土の置き場にしようとしている。それでも、木村は中間貯蔵施設の計画自体に大反対というわけではなかった。よそは受け入れてくれないかもしれない。汚染されてしまった原発周辺に造るのは仕方がないかもしれない。

 でも最低限、遺骨収容に配慮があるべきではないか。それに事ここに至って、まだ原発を続けるつもりなのか。

「中間貯蔵施設を造るに当たって、国なり東電なりの誠意というのがまったく感じられない。日本の原発を全て廃炉にするだとか、そのぐらいしてもらわないと」

 木村に答えて、環境省の職員は「誠意」という単語を13回使った。しかし、言質は一つも与えはしなかった。

 幸い今に至るまで、木村が捜索したい場所は、国が買収した土地を含めて手付かずで残っている。

■正義は誰の手に

 木村は東電の社長にも、問いたいことがあった。2017年10月、東電本社でドキュメンタリー映画の上映会が開かれた。自身も取材を受けていたから、監督に頼んで一緒にトークの部に出ることにした。

 ちょうど前日、新潟県の柏崎刈羽原発を再稼働する手続きが一歩進んでいた。福島第一原発と同じように、東電が営業エリアの外に建てた原発だ。そうやって都会が地方に危険を押し付け、電力の恩恵だけを享受してきた結果、事故は福島で起き、汐凪の捜索が阻まれた。

「企業として原発を動かすことはあり得るのかもしれないけれど、個人としてはどう思いますか」。1人の人間として、気持ちを聞きたい。木村の問いに、会場にいた社長が直接応答する機会はなかった。ただ、最後のあいさつで、社長はこんな発言をした。

「電気をつくることは命を守ることです」

 この屈辱を的確に表す言葉は、なかなかない。犠牲を強いた者が、その上「正義」を語っている。「なんか、ばかにされた感じがして。多数のために、汐凪は犠牲になったのか」。今もやりきれない思いを心にため込む。

 別に東電だけを責めているのではない。事故は、大量の電気と欲望をのみこんで回ってきた現代社会を問い直すきっかけになった。どっぷりつかってきた私たち自身も変わらなければ。報道番組の取材を受け、熱を込めて訴えたのだが。

次のページ
「ここは物を言いづらい状況がある。声はなかなか、届かない」