週刊朝日ムック『歴史道別冊SPECIAL 戦国最強家臣団の真実』から
週刊朝日ムック『歴史道別冊SPECIAL 戦国最強家臣団の真実』から

 蒙古襲来、鉄砲伝来などの新しい風を受けて、合戦は一対一から集団対集団の形態に移行。雑兵・足軽を重用する戦術や陣形が練り上げられていった。その用兵の極意とはいかなるものだったのか? 週刊朝日ムック『歴史道別冊SPECIAL 戦国最強家臣団の真実』では勝つための「陣形」と「戦術」を大研究。ここでは、合戦の基本陣形「八陣」を解説する。

【イラスト解説】魚鱗、雁行、偃月…合戦「八陣」の詳細はこちら!

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 合戦をするとき、数千あるいは数万の軍勢が勝手に思い思いに戦っても勝ち目はないわけで、やはり、規則正しく、組織だって戦う方が有利である。陣形を整え、鎗隊・鉄砲隊というように隊列を組んで攻めかかった方がいいし、また、守る場合も守りやすい。

 では、そもそも基本的な陣形とされる「八陣」というものは、いつ、どのように生まれたものなのだろうか。文献的には、『続日本紀』の天平宝字4年(760)の条に、日本人軍師第一号などといわれる吉備真備が唐から「諸葛亮八陣」をわが国にはじめて伝えたとみえる。諸葛亮は諸葛孔明のことである。「八陣」とは、魚麟・鶴翼・雁行・長蛇・偃月・鋒矢・衡軛・方円の八つの陣形のことをいう。

 魚麟は、全体が魚の形になり、一隊一隊をそれぞれ鱗にみたてたものである。鶴翼は、ちょうど鶴が翼を広げたような形になり、鶴の頭の部分に大将が位置するようになっている。この魚鱗と鶴翼は最もオーソドックスな陣形といってよい。

 雁行は、雁が飛んでいく形に陣形を整えたもので、偃月は、彎月ともいい、三日月形をした陣形で、鋒矢は、矢印の形、長蛇は字の通り、まっすぐ一列の陣形で、衡軛は互いちがいになる形で、方円は全体が円を描くような形である。

 こうした「八陣」が、実際の戦国時代の合戦でどのように用いられたかはわからない面もある。江戸時代になって、軍学の流行とともに人びとの注目を集めたという側面もある。そこで、江戸時代に書かれた軍記物に、「八陣」がどのように描かれていたかを知るために、具体例を二つほどあげておきたい。

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「八陣」の陣形イラストはこれだ!