結婚を正式に発表し、複雑性PTSDを公表した眞子さま(C)朝日新聞社
結婚を正式に発表し、複雑性PTSDを公表した眞子さま(C)朝日新聞社

 結婚が正式に発表になった秋篠宮家の長女、眞子さま(29)と小室圭さん(29)。婚約内定約から4年もかかった異例の結婚と報じられることに「皇室の結婚というのは時間がかかるものなのです」とは、ジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。ベテラン皇室ジャーナリストの渡邊みどりさんが、過去の皇室の結婚から、紀子さま、眞子さまの“異例の結婚”を紐解く。

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 上皇皇后・美智子さまにとっては初孫である眞子さまの結婚――。そのお気持ちはほとんど伝わってこないが、美智子さまはいま、どのようなお気持ちなのか? 長年、美智子さまを取材した渡邊さんはこう語る。

「美智子さまは眞子さまと小室さんの一連の結婚問題を静かに見守っておられたそうです。眞子さまには『私も苦しんで自分で結婚を決めました。あなたも自分で考えて決めたのだったら……』というような声をかけられたと聞いています」

 眞子さまと小室圭さんの結婚は、小室さんの母親の金銭トラブルなどが報道で発覚し、婚約内定から4年あまりの歳月がかかった。さらに宮内庁は眞子さまが「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と診断されていたことも発表。加熱する報道合戦に「(眞子さまが)誹謗中傷と感じられるできごとがなくなれば、複雑性PTSDの改善が進むと考えられます」と釘を刺した。皇室の結婚問題は過去にも様々な試練があったと解説する。

「皇室の結婚というのは近代の歴史を見ても、時間がかかるんですよ。一番いい例が昭和天皇と香淳皇后。腕輪を差し上げることとなり婚約が内定したのが大正時代の初めで、1920年(大正9年)に、宮中某重大事件というお妃内定していたにもかかわらず紛糾した大騒動がありました」

  渡邊さんの言う宮中某大事件とは、

【大正時代に起こった皇太子妃の決定をめぐる紛争。1919年(大正8)6月皇太子裕仁(ひろひと)親王と久邇宮(くにのみや)家の長女良子(ながこ)女王との婚約が成立したが、翌年、良子女王の母方の島津家に色覚異常の血統があることが判明した。皇室に色覚異常の血統が入ることをおそれた元老山県有朋(やまがたありとも)らは婚約解消を図り、久邇宮家にその辞退を求めた】/出典;日本大百科全書

 深刻な政治問題まで発展したが、1921年(大正10年)2月に皇太子妃内定に変更がないと発表されて一件落着となった。渡邊さんは、この騒動が解決した背景と結婚まで道のりを解説する。

「漢書の言葉『綸言汗の如し(りんげんあせのごとし)』を引用し、君子から出た言葉は一度出た汗のように引くことはできない、つまり、お妃内定を覆したら国民が君子の言う事をきかなくなると、婚約は成立にこぎつけました。そこに、1923年(大正12年)9月1日に関東大震災。さらに1年延びて1924年(大正13年)1月26日に当時の大正天皇の皇太子さま(昭和天皇)ご成婚となりました。なので、昭和天皇はお妃内定からご結婚まで足かけ7年くらいかかっているんですよ。長くかかるのは当然のことであって、それだけ時間がかかるのは、天皇家に対して国民みんなは関心を持っているからです」

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眞子さまの母・紀子さまの時は大ブームが