そういうなかで、私たちの分断がますます深まる怖さを感じている。例えば陰謀論にはまっているというわけではないが、友人がこんな話をしてきた。「感染者数が増えているのはPCR検査のせいなの。感染しても発症しない人がほとんどのウイルスなんだから、あまり心配しないで自分の免疫力をあげるしかないよ、鬱々としているほうが健康に悪い!」。彼女は「PCR検査が少なすぎる」と言う私を励ますように言ってくれるのだが、私は申し訳ないと思いながら彼女の鼻マスクが気になったり、「無症状の人も感染させるから怖いんだよ」と反論しようか迷ったりする。大切な友人であり、テーブルを囲み大笑いしながら過ごしたたくさんの時を、こんなことで消し去りたくはない。でも……「感染者が増えているのはPCR検査のせい」と真顔で言われると、ムリッ!という思いでドアをパタンと閉めたくなる自分も確実にいる。

 2年前、私の親友が乳がんの闘病の末に亡くなった。「ステージ4だから根治はムリ」と医師に宣言されてから17年間生き抜いた彼女は、抗がん剤の知識を身につけ、海外のデータを調べ、最先端の医療についての情報を常に集めていた。「がん治療の研究は常に更新されるから、長生きしたら治るかもしれない」と希望を語り、実際にホルモン治療やつらい抗がん剤や放射線治療などに果敢に挑みながら17年間生き抜いた。その彼女に時折、「がんで人は死なない、医療で死ぬよ」「抗がん剤打ったら死ぬよ」などと脅したり、そういうことが記されている本をプレゼントしたりするような人はけっこうな頻度でいた。彼女は誰がそういうことを言ったのかを忘れはしなかったけれど、反論することはなかった。なぜなら、「抗がん剤で死ぬよ」と彼女に“教えてくれる”人のほとんどが心からの善意で、そして本気だったからだ。がんに対する医療アプローチについては違う考えを持っていても、別の場面では楽しいフェミ友だちだったりしたからだ。知性とか教養とかに関係なく、むしろ自分の知やリテラシーに自信がある人ほど、(私からすれば)極論やえせ科学を取り入れることもあるのだ。

次のページ
政府不信が情報不信を生む