古瀬巡査は「けん銃で他の被害がないように」と祈りつつ、意識を失った。救急搬送され、一命をとりとめたが、肺の一部は切除し、全治6か月以上の診断だった。何度も手術を受け、復帰したのは事件から1年半ほど経過した昨年1月だった。ケガの後遺症をこう語る。

「左胸の感覚はほぼない。プレス機で押し付けられたようだ」

「肺の年齢は60歳以上と医師から言われました」

「普通に階段を上り下りするだけで息があがる」

 精神的なダメージで眠れない夜もあるという。そして救急搬送されて2日後、やっと意識が回復。ベッドの傍にいた母親が飯森被告の逮捕とけん銃を取り戻したことを知らせてくれたという。そして古瀬巡査は現在の心境をこう語った。

「けん銃をとられたのは事実であって、警察官をやめなくちゃいけないと思った。だが、今は上司、先輩などの励ましもあり、もう一度頑張ろうと思っている」

 しかし、後遺症が残り、体力的な不安があるので、交番などの勤務はできない状態が続いているという。

 一方、飯森被告の父親は事件当時、関西の民放テレビ局「関西テレビ」幹部であることも注目を集めた。その両親が弁護士経由で謝罪の手紙を古瀬巡査に渡したいという申し出があったが、受け取っていないという。

「裁判が終われば考えます」と語った古瀬巡査。そして最後に飯森被告に対し、こう訴えた。

「やったことは事実。なんでこういうことを起こしたのか、何がしたかったのか。病気ということを理由にせず、しっかり自分の口で話してほしい」

 古瀬巡査は退廷時も飯森被告の席に視線を送ったが、終始うつむいたままだった。検察側は「犯行は合理的だ」「犯行後、服を着替えるなど、計画的」として飯森被告は罪に問える判断した。また、事件翌日、警官の捜索で発見された時、飯塚被告は銃のありかを尋ねられ、こう語ったという。

「オレが殺したいヤツ、全員殺したら教えてやる」
(AERAdot.編集部 今西憲之)