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いきなりプロで大活躍も、その後は低迷…1年目が一番凄かった選手といえば?

久保田龍雄dot.
現役時代の中日・与田剛(OP写真通信社)

現役時代の中日・与田剛(OP写真通信社)

 1年目が一番凄かったルーキーといえば、真っ先に思い出されるのが、1980年、日本ハムにドラフト1位で入団した木田勇だ。

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 契約交渉に際し、「契約金以外に土地百坪が欲しい」と異例の要求をして話題を呼んだ社会人ナンバーワン左腕は、1年目に22勝8敗4セーブ、防御率2.28、225奪三振という文句なしの成績を挙げ、新人王、MVP、最多勝、最優秀防御率、最高勝率など各タイトルを総なめにした。

 特に後期(当時のパ・リーグは2シーズン制)は12勝4セーブと先発、リリーフにフル回転し、当時「週刊朝日」に連載中の山藤章二氏の世相風刺イラスト「ブラック・アングル」で、金太郎飴にたとえて「切っても切っても出てくる木田ハム」と紹介されたほど。9月25日の南海戦では、ライナーを股間に受けながらも、気力で11回198球を投げ抜き、新人では65年の池永正明(西鉄)以来の20勝目を手にした。

 だが、「2年目のジンクスと言われますが、必ず20勝を」と誓った翌81年は、かろうじて2年連続二桁をマークしたものの、10勝10敗と大幅に成績ダウン。3年目の82年も6勝に終わり、ルーキーイヤーの輝きは、完全に色あせてしまう。1年目の活躍でオフが忙しくなり、オーバーホールができないままシーズンに突入したことや、球種が少なく、投球スタイルを変えられなかったことなどが原因といわれている。

 その後、大洋時代の86年6月10日のヤクルト戦で初回に日本タイの1イニング4連発被弾、88年9月6日の広島戦で日本タイの5連続与四球、89年6月4日の広島戦で試合開始直後から3連発被弾と、たびたび珍記録で俎上に上がる寂しい晩年だったが、1年目の成績が突出して良かった分、2年目以降苦労した感がある。

 中日の与田剛監督も、1年目が一番凄かった投手の一人だ。

 ドラ1入団の90年は、8月15日の広島戦で当時の日本人最速157キロを計時するなど、50試合に登板し、4勝5敗31セーブ、防御率3.26で新人王、最優秀救援投手に輝いた。


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