エルサレムでみられるアルメニア陶磁器タイル(写真提供=ニシム・オトマズキン)
エルサレムでみられるアルメニア陶磁器タイル(写真提供=ニシム・オトマズキン)
2011年、「カーダシアン家」のメンバーがハリウッドのイベントに出席(Jason Merritt/Getty Images)
2011年、「カーダシアン家」のメンバーがハリウッドのイベントに出席(Jason Merritt/Getty Images)
ナゴルノ・カラバフをめぐる紛争が起きているアゼルバイジャンとアルメニア
ナゴルノ・カラバフをめぐる紛争が起きているアゼルバイジャンとアルメニア

 イスラエルの古都エルサレムの旧市街は、大きな石塀に囲まれた細い路地が入り組み、迷路のようです。日中でも薄暗い路地を歩いていると美しい陶磁器タイルで彩られたアルメニア人の店が目に入ります。アルメニア陶磁器タイルは、エルサレムのトレードマークとしてとても有名です。1919年、イスラム教の聖地である「岩のドーム」と呼ばれるモスクの修復のために、アルメニア人の職人が来て、モスクを美しく改装しました。今でも黄金のドームと壁面などにあるタイルが美しい対比を見せています。その後職人たちはこの地にとどまり、陶磁器のタイルや食器、タイルを家具にはめ込んだデザイン性のある商品などを制作するようになり、イスラエルの各地で商品が売られています。

 近代のアルメニア国は、黒海とカスピ海に挟まれた旧ソ連の構成国でした。その後旧ソ連の崩壊で1991年に独立を宣言しました。面積は日本の13分の1、人口は290万人という小さな国です。隣接する同じ旧ソ連のアゼルバイジャンのなかにある「ナゴルノ・カラバフ」という地域をめぐって、両国の争いが再開されています。このナゴルノ・カラバフの住民の大多数はアルメニア系ですが、ソ連の一部だったころ、地域はアゼルバイジャンに組み込まれました。アルメニアが独立した年、この地域もアゼルバイジャンから独立すると宣言しました。この時からアゼルバイジャンとアルメニアの間で領土紛争が続いています。その結果、1994年にいったん停戦するまでに双方で市民も含めて約3万人が亡くなっています。アゼルバイジャンから23万人のアルメニア系住民、アルメニアからは80万人のアゼルバイジャン系住民が追い出されています。今年9月になって再び紛争が激化し、ロシアが支援するアルメニアと、トルコが支えるアゼルバイジャンとの間で終わりなき紛争が続いています。

 アルメニアの歴史は古く、紀元前3世紀ごろに始まったといわれています。宗教はキリスト教ですが、独自のアルメニア使徒教会をもち、4世紀にはキリスト教を世界で初めて国教としました。巡礼者たちの集まる聖地エルサレムに、最初の国外のコミュニティーが作られました。小さなグループですが、現在でもエルサレムでその存在感を保っています。
 

著者プロフィールを見る
Nissim Otmazgin

Nissim Otmazgin

〇Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授。トルーマン研究所所長を経て、同大学人文学部長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年ヘブライ大学にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に贈られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。2012年、エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。

Nissim Otmazginの記事一覧はこちら
次のページ