西武ロッテ時代にはモチベーションがかなり下がった時期もある。楽天に移籍したことで、涌井自身の中に高まるものがあったのではないか」

 また、再び“やる気”を取り戻した理由の一つに、MLBでサイ・ヤング賞候補となるほどの活躍を披露しているダルビッシュ有(カブス)の存在もあるという。

「(これまでの涌井のキャリアの中で)いくつかのポイントがあった。1つ目は西武時代の11年オフ、当時日本ハムのダルがメジャー挑戦した時だ。お互いが認め合う素晴らしい関係で投げ合った時は絶対に引かないほど、ライバル心を燃やした。そんな存在が日本球界からいなくなり、心に穴が開いたようだった」

 切磋琢磨した球界屈指の名投手2人。公私ともに仲の良かったダルビッシュがメジャーに移籍し、国内での刺激がなくなった。

 悩み抜いた末の決断。涌井は13年オフにFA宣言、9年間在籍した西武からロッテ移籍する。

 西武時代は08年に日本一を経験。自身も最多勝2回(07、09)沢村賞(09)など、多くのタイトルを獲得した。『西武の涌井』は自他共に認める日本を代表する右腕となったが、モチベーションを保つことができなかった。投手としての本能が移籍を決意させた。

 しかし環境を変え自身に刺激を与えようとしたが、うまく行かなかった。

「ロッテは出身地・松戸市のある千葉のチーム。周囲も『里帰りだ』と盛り上がった。でも本人はいたって冷静だった。『幕張(ロッテ本拠地)も、所沢(西武本拠地)も高速道路を使えば、松戸までそんな変わんない』と言っていたくらい。チームも優勝を狙えるほどではなく、涌井自身もますますしんどくなったのではないか」

 涌井がかつて在籍した松戸シニアのチームメートは、ロッテ移籍後の涌井の様子に関して回想する。

 ロッテ移籍1年目の14年は8勝12敗と不甲斐ない成績。そこへ現れたのが、当時日本ハムの大谷翔平(エンゼルス)だった。

 投打の二刀流で結果を残し、近未来のメジャー挑戦も確実視されていた怪物。ダルビッシュに感じたような熱い気持ちが蘇ったのだろうか。

 涌井は翌15年に15勝を挙げ、大谷と最多勝のタイトルを分け合う投球を見せた。しかしロッテではそこまでが限界だった。

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メジャー挑戦を表明するも…