関東学院大工学部は活動家が試験会場に乱入し、試験が「粉砕」されてしまう。入試は中止となり、高校の内申書で合否が判定された。

 大学構内で入試を行うのは「粉砕」されるリスクが高い、と大学は考えた。そこで、とても頼りになったのが、予備校である。東京工業大、京都大、大阪大、九州大は早くから試験会場として予備校を手配していた。

 東京工業大は東急目蒲線(現・目黒線)大岡山駅近くのキャンパスで入試を行うことを断念し、山手線の原宿、代々木、新宿、池袋駅近辺の予備校を会場に設定した。代々木ゼミナール原宿校・代々木校、代々木学院、新宿高等予備校、新宿セミナ-、英進予備校である。浪人生全盛期の時代であり、60代以上にとっては懐かしい名前が並ぶ。2020年現在までに、これらの予備校の多くは廃業または規模縮小に追い込まれてしまった。

 大阪大も入試前日になって急きょ試験会場を予備校などに変更した。どこも厳戒態勢を敷いており、大阪府警の警察官、機動隊合わせて3900人が各会場に待機していた。その一つ、天王寺予備校の様子はこんな感じだった。

「入口は正門と裏門の二つしかないが、両方とも緊張した表情の警官が警備にあたっている。(略)ひとりひとり、受験票をチェックされ、教室にはいる。トランシーバーで、連絡をし合う職員の姿があわただしい。警戒体制の警官たちの顔がひきしまる」(同上)

 機動隊の警備といえば、日本大である。試験会場前にはジュラルミンの盾がズラリと並び、学生活動家を絶対に紛れ込ませないという、強い意志を示した。

「とくに主会場の両国・日大講堂付近は機動隊員六百名のほか大学職員が要所要所に配置され、受験生は会場にはいるまで三か所でチェックを受けるというものものしさに、受験生や父兄は不安顔をみせていた」(同上)。

 1970年代、大学入試では試験会場への通路の両脇に警官隊、機動隊がズラリと並ぶというシーンが見られた。一部の大学で1980年代に入ってからも見られたが、まだ活動していた「過激派」対策だった。1990年代になると、大学入試で警察の出番がなくなった。それは今日まで続く。

 これが半世紀以上前の大学入試のシーンである。

 これまでの入試が通用しない、という意味では2021年入試に通じるものがある。

 なお、69年は入試後、いくつかの大学では封鎖、ストライキ、ロックアウトなどで、この年の秋や冬までキャンパスで授業が行われていない。リポート提出で単位がとれたという、のんびりした時代だった。

 コロナ禍の現在はどうか。キャンパスに行かなくてもオンラインで授業を受けることができ、半世紀前とは状況がかなり違う。だが、当時もいまもキャンパスを使えない異常事態下であることに変わりはない。

 キャンパスにおいて、勉強やサークル活動などまっとうな大学生活が送れないとき、学生に強い意志がないと、モチベーションを保つのはむずかしい。何のために大学へ入ったのか、疑問を抱き、へこんでしまう。こちらも、いまとむかしは変わらないだろう。

 大学入試、大学教育がこれまで経験しなかったような局面を迎えるとき、学生、教職員、保護者などはどのように対応したらいいのか。半世紀前の異常な入試、教育から参考になるものはあるはずだ。たとえば、入試日程、入試科目、授業の方法、単位取得のあり方などだ。

 大学入試の歴史をちょっとふり返るのもいい。おおげさに言えば、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク、ドイツ帝国宰相)である。

(文/教育ジャーナリスト・小林哲夫