また、メジャーリーグ最長となる実働27年間プレーし、タフさもケタ違い。完投の数は1977年にリーグトップの22試合をマークし、通算では222試合を記録。メジャーリーグでは当時からすでに投手の分業制は始まっており、その中でこの数字は見事というほかない。キャリアの晩年はもちろん完投数はかなり減っているが、それでもキャリアを通して先発登板した773試合中、222試合で完投しており、スターターを任された内の約3割は最後まで投げ切ったことになる。

 去年、MLBで両リーグ最多の完投数はシェーン・ビーバー(インディアンス)などが記録した3試合。先発投手が投げ切るイメージがいまだに強い日本でも、昨シーズンは広島の大瀬良大地が6試合と両リーグで最も完投が多かったが、大瀬良に続くのは今永昇太(DeNA)と菅野智之(巨人)の3試合のみ。今とは先発投手に対する考えが違うとはいえ、ライアンが並外れたスタミナの持ち主だったからこそ可能となった記録だ。

 その他にも、最低でも1500イニングを投げたピッチャーとしては、最も低い被打率(.204)を記録。通算の投球イニング数は歴代5位(5386回)であることからも、数多くの球を投じ、最も打ちにくい投手であったことが読み取れる。決して名誉なことではないが、通算の四球数(2795)、許した盗塁数(757)、ワイルドピッチ(277 ※近代野球でのワースト)でも歴代最多を記録するなど、実にライアンが持つメジャー記録は51個に上る。

 また、記録だけではなく記憶に残る逸話も多い。

 その中で最も有名なものの一つが、現役最後のシーズンで乱闘の主役となったエピソードだ。

 1993年8月のホワイトソックス戦の3回、ライアン(当時レンジャーズ)は第1打席でタイムリーを浴びていたロビン・ベンチュラの内角をえぐり、これが死球となってしまう。すると、それに激怒した当時26歳のベンチュラが、46歳のライアンめがけてマウンドへ。親子ほど年が離れた“対決”はベンチュラ有利に思われたが、結果は予想とは全く逆となった。ライアンは、向かってきた血気盛んな若手にヘッドロックをかけ動きを静止すると、利き手の右手拳で6発のパンチを頭部付近に見舞った。

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大暴れしたのにライアンは…