8回まで無安打無失点に抑えた投手が、最終回を前に降板する珍事が起きたのが、93年の3回戦、上宮vs鹿児島実だ。

 上宮の背番号9左腕・牧野光将は、9四死球を許しながらも要所を締めて8回まで無安打。あと1イニング、アウト3つで2年ぶりセンバツ史上11人目のノーヒットノーランが誕生するところだった。

 ところが、11対0と大量リードの9回からマウンドに上がったのは、背番号1の吉川晃司だった。スタンドから「なぜ?」の声が上がり、三塁側の上宮応援席からもブーイングが起こった。

 前代未聞のノーヒットノーラン達成寸前の交代劇。実は、継投は試合前夜の時点で決まっていた。「吉川を投げさせてほしい」と牧野が申し出て、当初は6回終了でスイッチする予定だった。

 吉川は、前年秋の公式戦10試合中7試合を完投していたが、近畿大会準々決勝・東山戦で制球難を露呈して7回コールド負けを喫して以来、自信をなくしていた。

 このような事情から、甲子園では1、2回戦とも安定感で勝る牧野が完投したが、さらに上位を狙うには、吉川の復活が絶対条件。牧野の負担を軽減するためにも、吉川を甲子園のマウンドに慣れさせ、不調から立ち直ってもらう必要があった。

 だが、思いがけず牧野が6回までノーヒットに抑えたことから、田中監督は当初の予定を変更し、8回まで続投させた。

 そして、8回終了後、「自分の記録はいいのか?」と牧野に意思確認すると、「内容が悪いし、記録が出てもうれしくない」と続投を辞退し、納得ずくで吉川にマウンドを譲ったというしだい。

 9回、吉川は先頭打者に内野安打を許し、1点を失ったが、結果的にこの継投は大きかった。

“試運転”で甲子園のマウンドの感触をつかんだ吉川は、準々決勝の東筑紫学園戦で見事完封勝利。牧野も決勝の大宮東戦で7安打完封。エース2枚看板を確立した上宮は悲願のセンバツ初Vを達成した。

 個人の記録よりも“明日の勝利”を優先したことが栄冠につながった好例と言えるだろう。

次のページ
PL学園も“最後の選抜”で悔しい経験