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「七五三詣」なぜ7歳までしか祝わない?

連載「あなたの知らない神社仏閣の世界」

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※写真はイメージです

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この季節になると神社には「七五三詣」の幟が

この季節になると神社には「七五三詣」の幟が

千歳飴の外袋

千歳飴の外袋

 この季節、どの地域の神社仏閣を訪れても「七五三詣」の幟(のぼり)やポスターを目にすることになる。お子さんがおいでの方に七五三の意味の説明は不要だろうが、簡単に言えば「3・5・7歳の子どものすこやかな成長を祈願してお参りをする」ということである。

 それでは、なぜこの季節なのか、なぜ「3・5・7歳」の子に限るのかはご存じだろうか?

●江戸の文化が全国へと

 答えから言えば、始まりは江戸時代、徳川五代将軍・綱吉の時代に起こった行事である。ということは、江戸の風習であり、これが全国へと広まったのはかなり後の時代になる。関西には「十三詣(まい)り」というもっと古くからの慣習があるし、七五三の行事のひとつとして組み込まれながらも残っている各地方独特の風習もあることから考えても、「七五三詣」は江戸発祥であったが故に全国へ広まった慣習と言えるだろう。

●すべてはわが子の成長を祈念する親心

「七五三詣」を厳密に言えば、おもに数え年3歳の男児と女児、5歳の男児、7歳の女児が対象の行事で、それぞれ「髪置きの儀」「袴着(はかまぎ)の儀」「帯解きの儀」と呼ばれていた。「髪置きの儀」とは、江戸時代には3歳までは髪の毛を剃る習慣があったが、これを終わりにする意味を持つ。「袴着の儀」は男児が「袴」を着る年に達したこと、「帯解きの儀」は女児が着物の付けひもをやめて大人に近い幅広の帯を締める年に達したことをそれぞれ祝う意味が込められている。

 これは、古来、多くの子どもが疫病などに罹患し、7歳までに命を落とすことが珍しくなかった時代背景に大きく由来している。7歳を過ぎれば、親はまずひと安心したのである。

●始まりは五代将軍・綱吉の長男

「七五三詣」は、綱吉の長男・徳松が3歳の「髪置きの儀式」を行うにあたり、吉日を探していたところ二十八宿(にじゅうはっしゅく)の鬼宿日(きしゅくにち)が11月15日であったことから、この日を祝いの儀式にしたことに由来する、という説が有力である。というのも「髪置き」「袴着」「帯解き」の風習は、早いものでは平安時代から男女の区別なしに吉日に行われていたものだが、江戸中期以降、これらをまとめて11月15日に行う習慣が広まっているからである。

 さて、上記の聞きなれないいくつかの言葉を説明しておこう。「二十八宿」とは、東西南北の天球を28に分ける、天文学や占星術などで用いられた考え方で、現在でも似たような形の占いが残っている。また「鬼宿日」とは、婚礼以外はすべて大吉の日と言われていて、鬼が宿に居て出歩かない日という意味で用いられている。この日が大吉日である理由は、インドではお釈迦さまの誕生日は陰暦の4月15日となっていて、毎月15日が鬼宿日として定着したから。つまりお釈迦さまの誕生日である15日は鬼すらも出歩かない大開運日という意味となる。


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