2019年3月、ACLの前日会見で質問に答えるメルボルン・ビクトリー在籍時の本田圭佑 (c)朝日新聞社
2019年3月、ACLの前日会見で質問に答えるメルボルン・ビクトリー在籍時の本田圭佑 (c)朝日新聞社

「俺にオファーをくれ。お金は要らないんだ。偉大なチーム、そして偉大なチームメイトとともにプレーがしたい」

【写真】この頃は…フレッシュな星稜高校高校時代の本田圭佑

 先月28日、本田圭佑が自身のツイッターでマンチェスター・ユナイテッドに自らを売り込む大胆な逆アプローチを見せ、世間を驚かせた。その2日後には、古巣・ACミランに「僕はいつでも助ける準備がある。何かあれば連絡してくれ」と再びツイッターでアピール。さらには、10月25日にも「なぜオファーをくれないのか? 今でもなお、自分はアジアのベストプレーヤーの1人であると確信している」と英語でつぶやいた。かつての日本代表エースが新天地探しにどれだけ苦しんでいるかが色濃く伺える行動の数々である。

 2020年東京五輪出場を目指すと公言している彼にとって、今季は自身の存在価値を再認識させる重要なシーズンになるはずだった。契約延長の申し出を受けたメルボルン・ビクトリーを去ったのも、「ハイレベルなクラブで戦わなければ、東京五輪に行く夢は叶わない」と考えたからだろう。本人は8月末の欧州移籍期限終了後も古巣・VVVフェンロで調整を続けるなど、本気で欧州強豪クラブに行くつもりで準備していた。けれども、残念ながら納得いくオファーは届かず、異例のツイッター売り込み後も状況は進展していない様子だ。

 欧州シーズンもすでに開幕3カ月が経過し、主要クラブの陣容はほぼ固まっている。次のチャンスは冬の移籍市場が開く来年1月ということになるが、冬は夏に比べるとかなりの狭き門。本田を取り巻く環境は想像以上に厳しいと言わざるを得ない。

「欧州では、30歳を過ぎた選手に対する評価が非常に厳しいんです」

 こう語るのは、かつて本田同様に無所属の辛さを味わった川島永嗣(ストラスブール)だ。彼は2015年6~12月の空白期間を経て、スコットランドのダンディー・ユナイテッド、フランス1部のメス、ストラスブールを渡り歩いてきた。そうやって新天地に赴くたびに年齢の壁を痛感させられてきたという。

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守備と攻撃の選手で異なる事情