対面に知らない人が座れば、その分気を使わねばならない。583系は昼行特急として運行された時でも、夜間は寝台特急で運行される距離を走破することから、長時間運行が多かった。例えば、1968(昭和43)年10月の特急「つばめ」は名古屋発9時15分、本着21時36分であり、実に12時間21分も走っていたことになる。

 当時を想像しても「特急なら前向き座席に」という不満が生じた実情は理解できる。

 2等(1969年よりB寝台)寝台車としても583系は画期的な車両だった。特急・急行の大半で最上級設備であった、プルマン式開放型1等寝台車を2段式寝台から、3段式寝台に変更した構造は初めての試みだった。上記の昼間状態での居住性を考えた結果、2等下段寝台の寝台幅は106cmもあり、これは同一構造の1等寝台車下段の101cmよりも広い。高さでは583系が76cm、1等寝台が113cmで大差はあったが、寝れば1等寝台の寝心地だった。

 現役の寝台車では285系A個室寝台で85cm、E26系で80cm(スイートは85cm)なので、583系下段寝台のワイドさは際立ったものである。筆者は未就学児だった息子と添い寝したが、全く妨げなく寝ることができた(285系A寝台でも添い寝したが窮屈だった)。また、電車であることから加減速がスムーズであり、駅の到着時での衝撃も少なかった。

 これだけのスペースがありながら、下段の寝台料金は4500円であり、1等寝台下段の寝台料金8000円よりも大幅に安かった。

 中段・上段寝台は幅70cm、長さ190cm、高さ68cmだった。当時の特急用寝台客車として主力だった20系寝台車は幅52cm、長さ190cm、高さは下段84cm、中段74cm、上段76cmだったから、高さは別として、寝返りを打てる寝台幅が歓迎された(筆者は幅52cmの10系B寝台車で横になったことがあるが、狭くて寝返りも難しい幅であった)。

 筆者は中段・上段寝台も体験したが、背が低い人であれば、寝台上で足を延ばして座れる高さがあり、寝れば快適なスペースであった。ただし、上段寝台は床から見て1.5mほどの高さにあるので、ハシゴの上り下りの際にちょっと怖かった。また、中段・上段には外を見られるちょっとした窓があり、隠れ家感を感じた。

 寝台料金は4000円であり、幅52cmの客車寝台と500円しか違わなかったから、当時の人の視点では、大幅なサービスアップと感じたと思われる。

 また、車両のパンタグラフ下には上段寝台が設置できないので、その部分の中段寝台の高さは103cmあった。これは客車1等寝台上段の93cmを上回る高さだった。寝台料金は他の中段と変わらないので、非常に人気があり「パンタ下」の愛称で親しまれた。

 なお、寝台設備としては、1974(昭和49)年4月に登場した客車寝台車24系25形の登場後は陳腐化していった。2段式B寝台として登場した25形は、寝台幅70cm、高さ111cm(上段95cm)、長さ195cmと583系よりもゆとりがあり、寝台料金は4500円と500円しか差がなかったので、下段寝台以外は劣っていたからだ。

次のページ
1等寝台車になれなかった、1等座席車