事件発生から24時間も経っていない時期に「サリン」に言及した専門家は、ほとんどいなかった。実際に捜査本部が毒ガスの物質を「サリン」と発表したのは、さらに5日後の7月3日。この時から、一部の専門家しか知らなかったサリンが、日本で広く知られるようになった。

 だが、毒ガスの成分がサリンと判明したことは、ある“間違い”を引き起こした。サリンが未知な物質だったため、化学の専門家が誤った知識をテレビや新聞で紹介したのだ。

「今では考えられないことですが、化学の専門家が『サリンは手作業で製造できる』『バケツの中で混ぜればいい』といった説明をしたんです。これに警察やマスコミが誘導されて『河野さんが農薬をつくるために薬品を混ぜ合わせてサリンを発生させた』との見方が広がりました。十分な知識もなく、調べもせずに間違った情報を発信した科学者の責任は重い」(田坂さん)

 サリンはもともと、1930年代にナチスドイツが化学兵器として開発したものだ。製造過程では、毒ガスが外に漏れ出ないよう厳重に守られた施設が必要で、手作業では作業者が即死する。当時は、化学の専門家の間でも、そんなことすら知られていなかった。

 松本サリン事件は、警察やメディアの誤った思い込みが河野さんを苦しめた。捜査や取材が進むなかで「河野犯人説」を強める意見を科学者に求めていたのかもしれない。「でもね」と、田坂さんは笑いながら話した。

「ICUで使っていた教科書にサリンの記述があって、英語の原著にはサリンの構造式が書かれてあることは知っていたのですが、私もそこまで詳しいわけではなかったんです。でも、コメントを求められて『サリン』という名前を出してしまったので、記者さんに『間違った知識を教えたなら申し訳ないな』と思ったんですよね」

 一度、科学者として話をしてしまった以上、内容に責任を持たなければならない。そう考えた田坂さんは、あらためてサリンに関する文献を調べた。

次のページ
図書館の本にサリンの製造法が書かれていた