山田邦子の独立騒動で、「テレビ」と「芸」の距離を考えた (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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山田邦子の独立騒動で、「テレビ」と「芸」の距離を考えた

連載「道理で笑える ラリー遠田」

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期せずして話題の人となった山田邦子 (c)朝日新聞社

期せずして話題の人となった山田邦子 (c)朝日新聞社

 そんなテレビの世界に見事に適応して、「テレビ芸」の達人となった芸人たちは、自分にはちゃんとした芸が足りないのではないか、と感じるようになる。そこで改めて芸事の奥深さを知り、一から学び直したいという気持ちがわいてくるのだろう。

 ビートたけしが芸にこだわるのは、浅草時代の師匠である深見千三郎の教えによるものだ。浅草のフランス座でたけしは深見からコントを学んだ。深見はタップダンスやギターなど数々の芸を持っていた。芸人は芸を持っていなければいけない、というのが彼の持論だった。

 たけしもその教えを受けて、さまざまな芸を学ぼうとしていた。だが、その修業の途中で、たけしはビートきよしと漫才コンビを組み、漫才師として世に出てしまった。漫才を芸として認めていなかった深見は、たけしがその道に進んだことに失望していた。

 その後、たけしはテレビの世界でスターになり、師匠が求めていた芸を極めるという生き方から外れてしまった。そこに心残りがあるからこそ、たけしは多忙な中でも新しい芸の探究に余念がない。タップダンスの練習を続けているのはもちろん、ピアノを弾いたり、絵を描いたりもしている。古典落語に挑んでいるのもその一環だ。

 一方、最近では「伝統芸能の世界からテレビに進出する」という講談師の神田松之丞のようなケースもある。一般には馴染みの薄い講談の世界から出てきた松之丞は、いまやテレビやラジオに多数出演する売れっ子になっている。講談で磨いた彼の話術はメディアの世界に新風を吹き込んでいる。

 芸人は人を笑わせたい生き物だ。そんな彼らは、貪欲に笑いを求めた末に「芸」に行き着く。テレビの芸人が芸を求める一方で、芸の道を行く者をテレビが求めていたりもする。もともと縁がないように見えた「テレビ」と「芸」の距離はじわじわと縮まっているのかもしれない。


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ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・ライター、お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)など著書多数。近著は『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)。http://owa-writer.com/

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