■ホスピスケアと死生学

 実は同じ時期に、<医療やケアとスピリチュアリティの間>の異なる領域が広がりつつあった。それはホスピスケアであり、「死の臨床」であり、死生学の動きだ。イギリスで聖クリストファー病院にホスピス病棟ができたのは1967年、エリザベス・キュブラー=ロスが『死ぬ瞬間』を著したのが69年だった。日本では、70年代の中頃からこの領域に関心をもつ人が増えてきた。「日本死の臨床研究会」が発足したのは77年、聖霊三方原病院に日本で初めての聖霊ホスピスが開設されたのは81年である。

 そのすぐ後の82年に上智大学のアルフォンス・デーケン教授が「生と死を考えるセミナー」を開き、その聴講者が集うようになり、翌年「生と死を考える会」が始められた。85年には仏教界から「ビハーラ」の語が提唱され、長岡西病院のビハーラ病棟がよく知られるようになる。仏教版ホスピスである。デーケンは「死の準備教育」を提唱するが、それにも刺激されながら、小中高校で「生と死の教育」や「いのちの教育」が試みられるようになる。

 こちらの動きを受けて、東京大学文学部では2002年から「死生学」に取り組むようになった。実は私はその「死生学」の研究拠点の拠点リーダーに指名されることになった。『<癒す知>の系譜』の本が仕上がる頃がその始まりだ。この取り組みの中から生まれたのが、『死生学1 死生学とは何か』(竹内整一と共編、東京大学出版会、2008年)、『日本人の死生観を読む』(朝日新聞出版、2012年)だ。

■グリーフケアの広まり

「新しいスピリチュアリティ」と「死生学」とは同時期に展開してきた。ともに<医療やケアとスピリチュアリティの間>に関わるものだが、さしあたり別々の精神運動・知の運動として広まった。ところが、2010年頃からこの二つの領域が重なり合うように感じられ出した。「癒しの運動」と「死に向き合う運動」が別々のものではなく、関連しあった運動であることが見えてきた。

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グリーフケアの目標は「悲嘆を癒す」ことなのか?