4番を打つ張本は、打率3割4分台と絶好調。この日も1対4とリードされた3回に鈴木啓示から1点差に迫る2点タイムリー二塁打を放っていた。一打同点の場面とあって、ベンチの土橋正幸監督も主砲のひと振りに期待をかけていたのは言うまでもない。

 それでは、なぜ張本は送りバントをしたのか?

 実は、この日の日拓打線は、鈴木KO後にリリーフした清を打ちあぐみ、なかなか得点することができなかった。そこでなんとか流れを引き寄せようと、「オレが自主的にやってみたんだ」というしだい。「バントヒットになれば(無死)一、三塁、アウトになっても走者は確実に三塁に進めるからね」(張本)。

 結果的にこの送りバントが功を奏して同点に追いついた日拓は、8回に勝ち越し、5対4と鮮やかな逆転勝ちを収めた。

 だが、勝利を呼んだプロ15年目の初犠打も、翌日の新聞ではあまり話題にならなかった。

 なぜなら、同じ日に甲子園で行われた中日vs阪神で、江夏豊がプロ野球史上初の延長戦(11回)でのノーヒットノーランを達成。しかも、11回裏に自らのサヨナラ本塁打でゲームセットというあまりにも劇的な幕切れとあって、ほかのニュースはすっかり霞んでしまったのだ……。

 “暴れん坊”の名をほしいままにした張本が珍しく本塁上のクロスプレーでKOを食らった試合として記憶されているのが、日本ハム時代の1974年5月14日のロッテ戦(後楽園)。

 3対1とリードした4回無死一塁、この日自身3本目の安打で出塁した張本は、二塁走者・大下剛史とダブルスチールを決め、白仁天の右犠飛で三塁に進んだあと、大杉勝男の浅い左飛で無謀とも思える本塁突入を試みた。

 初回、白の二塁打で先制のホームを狙った際にタッチアウトになっていたので、「名誉挽回」の気持ちもあったのかもしれない。

 だが、バックホームの返球はワンバウンドながらも捕手・榊親一のミットに収まり、タイミングは完全にアウト。にもかかわらず、張本はスライディングもせずに、そのまま体当たりをかました。

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「あの張本さんが……」