こうして、プレステ世代は三つ巴の争いと言えたが、PS2世代は良く言えばPS2とゲームキューブの“2強”、その実はPS2の圧倒的な独り勝ちが続く。PS2を販売するソニー・コンピュータエンタテインメント(当時、以下SCE)は過去最高収益をあげ、社長がソニー本体の副社長に就任するという栄華を誇っていた。“地上”をほぼ制圧したSCEが目指す先は、“空”こと携帯ゲーム機市場であった。

■“情報戦”に敗れた形で出遅れたPSP

 ここで、「ゲームボーイアドバンス」(以下、アドバンス)以降の携帯ゲーム市場を見てみよう。アドバンスは、スーパーファミコンを上回る性能を生かし、04年に発売される後継機「ニンテンドーDS」(以下、DS)の登場までの3年あまりをライバル不在で過ごした。最終的な販売台数は1696万台で、10年続いたゲームボーイの約半数をこの短期間で売り上げている。ソフトの売り上げは2002年の「ポケットモンスター ルビー・サファイア」533万本や、2004年の「ポケットモンスター エメラルド」の219万本など、ポケモン人気が根強い格好だ。

 そこに、プレステ並みかそれ以上の性能を持つ携帯ゲーム機がSCEから発表される。その名も「PlayStation Portable」(以下、PSP)。史上初めて携帯ゲーム機で光ディスクがソフトに採用された。当初は“21世紀のウォークマン”と銘打たれていた。

 DSとPSPの闘いは、実に発売前から始まっていた。

 04年9月21日、SCEは事業戦略を語る記者発表会「PlayStation Business Briefing 2004」が開かれようとしていた。この会見で、具体的なPSPの発売日と価格が発表されると見込まれていた。だが、会見が開かれる1時間前、任天堂のホームページで急にDSの発売日と価格を告知したのだ。予想されたPSP発売の10日前となる12月2日を発売日に、価格は1万5000円で打って出た。DSは2つの横長の液晶画面が縦に並ぶデザインをしているが、カラー液晶画面を2つ搭載していることで、関係者の間では2万円を超える価格が予想されていただけに、たちまち話題となった。

 これに対してPSPの定価は、当初2万9800円が想定されていた。しかし、DSが1万5000円ということは、PSP1台でDS2台が買えてしまう計算となってしまう。また、2カ月弱という発売期間も急なものであった。このため、この突然の任天堂の告知はSCE関係者を大いに困惑させたとされ、関係あるかどうか不明だが、この日の会見時間が17分遅れる結果となってしまう。予想されていたPSPの具体的な情報もなく、発表は先送りされることになった。この事件は、“空白の17分”と呼ばれている。

 最終的に、PSPの具体的な発売時期と価格が発表されたのは約1カ月後の04年10月27日で、発売日はプレステ発売から10周年となる12月12日、価格は2万790円とされた。本来の価格から1万円あまり下げたことで、PSPの利益率は激減することとなった。また、この開発スケジュールは急だったようで、PSP発売当初は生産が追いつかず十分な在庫量を揃えられなかったほか、ゲームプレイ中にソフトのフタが勝手に開いてしまったり、「□」ボタンを押したら戻らなくなったりといった不具合の報告が相次いだ。一方のDSは、特に問題もなく、順調に一足早い攻勢を展開したのだった。

 最終回となる次回は、熾烈な争いが繰り広げられた“空中戦”のその後と、現在のゲーム機戦争をお届けする。

(文/河嶌太郎)