山崎直子さん(写真/小原雄輝)
山崎直子さん(写真/小原雄輝)

 2010年、女性宇宙飛行士としてスペースシャトルに乗り込んだ山崎直子さんが、自身の学生時代を振り返りつつ、現代の多忙な若者たちにアドバイスを送った。「国公立大学 by AERA 2019」(朝日新聞出版)からお届けする。

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 数百倍の競争率と、数字だけでは語れない難関を突破した女性。山崎直子さんは、過酷な訓練と極限環境を過ごしてきた宇宙飛行士だ。しかしその物腰は、苦労を思わせないほどゆったりとして穏やかである。

「子どものころから星が好きで、いつか宇宙へ行ってみたいという思いがありました。ものづくりも好きだったので、そのどちらも学べる東京大学の工学部航空学科、現在の航空宇宙工学科を選びました」

 幼少期から、ものの構造に興味があった。だが、その“ものづくり”の方向性がひと味違う。

「お気に入りだったのは、いろいろなものを輪切りにした断面図が載っている本。段ボールの工作や折り紙なども好きでしたし、設計図にもとても憧れていましたね」

 さらに、中学3年生のときにテレビで見たスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故も、その後の選択に大きな影響を与えた。

「初めてリアルタイムで見た宇宙船が事故に遭ったことは、とても衝撃的でした。『宇宙開発はまだまだ進化の途上にあるんだ、だからこそみんながんばっているんだ』ということが現実として伝わってきて、そこに自分も携わっていきたいと思いました」

 受験勉強では「歴史などは暗記することも多いし、『めんどくさいなぁ』と思ったことはもちろんありました」と笑う。それでも、散歩をしたりプラネタリウムへ行ったりと息抜きしつつ、「この時代にこんなことがあったのか、こんな人がいたのか」と、なるべく楽しんで取り組むようにしていたそうだ。

 東大に現役合格したあとも、山崎さんは楽しむ姿勢を持ち続けた。

「初めて図面を引いたときは楽しかったですね。ペンと紙でのアナログ作業を、大学の古い机でやるわけです。ここで多くの人が学んできたんだなと、先人の思いに触れる気がしてうれしかった。飛行機の断面図を描いたこともあります。小さいときに好きだった、輪切りの本が思い出されました」

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日本で一人暮らしすらしたことなかった