インドで沈没していた僕を救ってくれた煙草の空き箱とアムリツァル駅 <下川裕治のどこへと訊かれて> (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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インドで沈没していた僕を救ってくれた煙草の空き箱とアムリツァル駅 <下川裕治のどこへと訊かれて>

連載「どこへと訊かれて」

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下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)

アムリツァル駅。切符売り場の混雑だけは昔のまま

アムリツァル駅。切符売り場の混雑だけは昔のまま

 さまざまな思いを抱く人々が行き交う空港や駅。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界の空港や駅を通して見た国と人と時代。下川版「世界の空港・駅から」。第60回はインドのアムリツァル駅から。

【切符売り場の混雑だけは昔のままという、アムリツァル駅】

*  *  *
 ちょうど37年前、僕はこの駅で店を出す煙草屋の横に座っていた。目的は空になった煙草の箱をもらうことだった。
インドを歩いていた。

 27歳──。

 僕も人並みにインドにやられてしまった。それはもう病に近かった。それでもなんとか、アムリツァルの駅まではやってきた。もう一歩でパキスタンである。僕はパキスタン航空の1年オープンの航空券をもっていた。それを使えば、カラチから日本に帰ることができた。しかしアムリツァルの駅前ホテルに入り、なにもしない1週間がすぎようとしていた。いや、その日数もおぼろげだった。

 日本を出発して8カ月ほどがすぎていた。

 無気力……。なにもする気にならない。そう、旅もできなくなっていた。すべてが色褪せて見える。ただ、安宿に沈んでいた。ホテルの脇の食堂で食事をとる。それだけの日々だった。

 これはまずいかもしれない……。軋(きし)むベッドで自問する。なにかをしなくては……。

 そこで思いついたのが、煙草のパッケージを集めることだった。空になった煙草の箱を丁寧に解体し、街で買った粗末なノートに貼りつけていく。それだけのことだった。

 しかし僕は救われていく。僕にはやることがある。それがうれしかった。

 安い煙草の箱は次々にノートに貼られていったが、しだいに財布にこたえるようになってきた。インドには、安宿の1泊分にも相当するような高い煙草もあった。とても買うことができない。

 そこで顔見知りのおじさんの脇に座ることにした。彼はアムリツァル駅の脇に店を開いていた。高い煙草はインド人も箱買いができず、1本、1本と買っていく。煙草屋の脇に座り、半日も待てば空になった煙草の箱が手に入る……。


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