尊敬の念がないけしからんパクリはもちろん許せないです。ただ、パクリという言葉の糾弾を恐れて、影響を受けた作品すら「受けていない」と言わざるを得ない今の風潮は改めないといけないですね。

――マンガ研究家として、今のマンガ文化についてどのように感じられていますか?

 本県は今年、「合志マンガミュージアム」という立派な美術館をオープンしましたが、こうした動きがもっと広がってほしいです。昭和28年に「少女クラブ」で手塚治虫の『リボンの騎士』が始まると、突然他のマンガが一気に色あせて古臭いものに見えたんです。それまでの少女マンガもとても面白く読んでいたのに、他のマンガとあまりに格差がある手塚治虫の出現という衝撃、それは単行本で読んでもわからないんですね。雑誌で読んで初めて、その時代の空気が読めるんです。

 しかし貴重な雑誌のコレクターの方たちが亡くなってしまうと、こうしたお宝が散逸してしまう。レアものの浮世絵を見たかったら海外に行かなくてはいけないというようなことは、もう繰り返してはいけません。

――コミックマーケットへの参加や、「まどかマギカ」や「艦これ」などのパロディをマンガに取り入れるなど、新しい取り組みも話題になっています。そのマンガへの飽くなき情熱は、生まれ持ってのものなのでしょうか?

 振り返ってみるとそうかもしれない。2歳の頃にはマンガに触れて夢中で絵を描いていたから、ほぼ70年ずっとマンガにはまりっぱなしですね。他のものが見えないんです。

 毎月100ページはこなしていたんですが、50歳になって徹夜がきかなくなって、このままやっていたら死ぬなと思って毎月30ページの『風雲児たち』1本に絞ったんです。空いた時間に何をしようかと思っていたんですが、やっぱりマンガしかなかった(笑)

 コミケに首を突っ込んだり、マンガ研究をやり始めたりしたら、ものすごく忙しくなっちゃって。マンガ賞の審査員としてマンガを何百冊と読むのは今の流れをある程度つかめるのでありがたいんですが、イベント事も増えて時間がなくなってしまい……ほんとはこの冬コミに何か出さなきゃいけないのに!(笑)

※真田太平記 2018年1月15日号(週刊朝日増刊)より