その日は、もし調停で成立できなければ家裁を不調に終わらせる覚悟でおりました。財産分与という大変大きな問題は生じますが、私の方から裁判に持ち込んで戦うという決意を、私は、あの赤い服の中に隠して、家裁で戦ったわけです。

 証人として裁判で立ってくださる方の準備もすべて整っておりました。しかし、そのこともなく、おかげさまで13日、家裁の中で離婚を成立させることができたんです。本当に嬉しいです。もう本当に嬉しいです。

 誰にも私は電話をしていないんです。真っ先に私を見守ってくださっている家族のみなさんに「離婚できたよ」とお伝えしたいんですけど、お話したように調停委員の方々との厳粛なお約束で、それはできませんでした。でも、真っ先に家族のみなさんに私の口からご報告しようと思っていたんですが、急きょ、ホリプロさんのことでこのようなことをさせていただくことになりました。

 でも、今日はおめでたい発表でございます。だから、私の体調は別にして、みなさんに本当にご無理を申し上げましたが、見守っていただきながらこうしてお話しできますことをとても感謝しております。きっと神様が応援してくださったんだと思います。本当に、私を見守ってくださいましたみなさま、本当にありがとうございました。本当にありがとうございました。勝ち取りました!

──松居さんの要求が通ったということですか?

 とにかく、離婚はみなさんご存じかどうかわかりませんけど、財産分与というものがあります。でも私は、それがあっても今回の家裁が不調に終わったならば、裁判に持ち込む覚悟で13日は挑んだわけです。それで証人の方達もずいぶん用意しておりました。

──船越さんからの謝罪を求めていたが

 私のなかで何を一番守るべきか。何が一番大事なのかということを考えましたなかで、それは答えは一つでした。それを守るためには、どうすればいいんだろうということを私の先生方と協議をしてまいりました。その私の願い、夢がかなったわけです。

──どんな夢ですか? 財産ですか?

 そうです。

──財産分与をしてほしいという話はありましたか。

 お答えするのに制限がかけられているんです。でも私は夢が叶ったんです。本当に夢が叶って、こうして年内に人生の大掃除をすることもできたわけです。

──もともとは松居さんは離婚をしたくなかったんですよね。

 いえ。いろいろ報道されていますけれども、いま私がお話していることがすべて正しいというか、正しいことなんです。だから、17年結婚をしておりました。一文字で表すならば、今年は「戦」でした。もちろんです。去年は「泣」でした。おととしも「泣」でした。私は、命を絶とうとも思いました。もう一生分の涙を流したぐらい立ち上がれませんでした。もう地獄に落ちたようでした。しかし、立ち上がって戦うファイティングポーズをとったんです。そして、この家裁に挑みまして、そしておかげさまで13日に決着がつきました。それも、私の一番願っている形でした。

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離婚調停で一番大事なものを聞かれ……