斉藤章佳さん(以下、斉藤)「それは、加害者がもっとも想像できないことのひとつですね。彼らのなかに被害者は不在なので、想像が及ばないのです。謝罪を聞いていてむなしくなるのは、私も同じです。そう感じる理由はほかにもあって、彼らの謝罪は“許されること”を前提としているからです。許されたくて何度も謝罪する、それでも相手が許してくれないと、『こんなに謝っているのに許してくれないのか!』という気持ちへと変容していきます。これを“加害者の被害者意識”といいます」

 加害者における被害者意識は、被害者における加害者意識と表裏をなしている。

にのみや「被害のさなかにいても、私は自分さえ我慢していれば丸くおさまると思っていました。加害者は当時の私の上司であり、社内外から驚くほど信頼されている人でしたから、会社に被害を訴え出たら、『あなたのほうに辞めてほしい』と返ってきました。加害者からも『まさか君が僕を訴えるとは思わなかった』といわれました。私の訴えで周囲が迷惑している……まるで自分が加害者であるかのような心持ちになっていきました」

 性被害者への対応としては信じられないものだが、にのみやさんが被害に遭った20数年前はこれが一般的だった。こうして加害者はある意味守られ、被害者だけが孤立し、ますます追い詰められる。同時に、胸の内では「私が悪かった」という負の感情が醸成されていく。

にのみや「いまでも『そんな派手な格好をしているから』『夜道をひとりで歩くから』と被害者の自己責任を求める声が根強くありますよね。でも被害者は誰にいわれるでもなく、自分で自分を責めるんです。自分が我慢すればよかったんじゃないか、そもそも自分という人間がいなければこんなことは起こらなかったのに、と。頭では、それは違うとわかっているんですよ。私もほかの被害者には『あなたは悪くない、絶対に悪くない』と声をかけます。でも、『じゃあ、にのみやさんはどうなの?』といわれると、私は自分に非があったからこそこうなってしまったと思ってしまうんです」

次のページ