この番組自体は埼玉のローカル番組だったのだが、その評判は業界全体にじわじわと広まっていった。テレビ制作者の間でも「千鳥は面白い」という評価が固まり、彼らを再びバラエティ番組に起用する動きが出てきた。彼らもこの段階ではようやく東京のテレビに慣れつつあり、自分たちのスタイルを自然に出せるようになっていた。ノブがよく使う「クセがすごい」というフレーズもじわじわと浸透していった。

 ここで千鳥の人気を加速させる原動力となったのが、同業者である芸人からの根強い支持である。独自のスタイルを持つ千鳥の漫才は、ビートたけしや爆笑問題などの先輩からも高く評価されていた。最近では、大悟はプライベートで志村けんと付き合いがあることを語っている。また、千鳥の大悟は妻子を持つ身でありながら、酒と女に溺れる昔ながらの芸人らしい一面もあり、たびたび写真週刊誌にも取り上げられている。先輩芸人にはそういう豪快な部分も愛されているのかもしれない。大阪時代から千鳥の2人を慕う後輩芸人も数多く存在する。

 低迷期にも千鳥は『ロンドンハーツ』(現『金曜ロンドンハーツ』)や『アメトーーク!』など、テレビ朝日の加地倫三プロデューサーが携わっている番組にはたびたび出演していた。『ロンドンハーツ』の企画では、その場のノリでノブが「ノブ小池」と改名させられたこともあった。テレビの企画で芸名を本当に変えてしまうというのは、かなりの挑戦である。「くりぃむしちゅー」や「さまぁ~ず」のように、芸名を変えてから飛躍的に売れた例もある。しかし、「ノブ小池」は今ひとつ定着せず、いつのまにかそっと元に戻していた。逆に言うと、芸名を変えるという大規模な悪ふざけを仕掛けられてしまうくらい、千鳥がテレビ制作者や芸人から愛されていたということだ。

 もともと大阪でレギュラー10本以上を持っているぐらいだから、千鳥はMC、ひな壇、ロケの何でもこなせるだけの器用さは持っている。いわば、千鳥は東京に来た時点ですでに完成品だった。皮肉なことに、だからこそ彼らは東京でゼロから始めて新しいポジションを見つけることができず、苦労を強いられたのだ。

 ただ、業界内で認められている人間は、遅かれ早かれ世の中でも評価されるようになる、というのがこの業界の鉄則である。千鳥にもようやくそのタイミングが来たという感じがする。むしろ、彼らにとってはここがスタートライン。東京で自分たちがMCを務める番組を持つことができるのかどうか。彼らのセカンドステージは始まったばかりだ。(文/お笑い評論家・ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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