彼を見違える走りに変えたオランダの指導環境とは、どんなものなのだろうか。それを考えるとき、まず、オランダはスピードスケート王国で、「スポーツ文化国」と言えるほどに競技環境が整っている点に注目したい。五輪ともなれば、伝統の木靴をはいた大楽団が他国開催の会場まで送り込まれて賑やかに応援し、多くのメダルを持ち帰る。強さを裏付けるのが各地に整備されているスポーツクラブで、確かな理論を身に付け、待遇面も保証されたコーチ陣が質の高い指導に当たる。そうして育った中から優秀な者はナショナルチームへと引き上げられ、さらに先進の指導環境で世界トップクラスへと成長していくのだという。

 日本のスピードスケート代表は、低迷していた中長距離陣のためにオランダ人コーチを招聘し、世界選手権やワールドカップでたびたび表彰台に上がれるほどの成果を出した。そこで施されたのは、徹底した科学的データに基づく練習メニューだった。前出の瀧谷氏は「そんなノウハウが陸上などのほかのスポーツにも浸透しているはずで興味深い」と話す。

 また、オランダは伝統的にフィジカルトレーニングの方法論にたけているという指摘もある。

サッカーもフィジカルの強さが特徴。思い返せば1964年の東京五輪の柔道で、日本が是が非でも欲しかった男子無差別級の金メダルをアントン・ヘーシンク選手に奪われたとき、力でねじ伏せられたと日本のスポーツ界に衝撃が走ったものです。そのあたりを源流に、オランダにはフィジカル強化の科学的な根拠の収集と蓄積のシステムがあるのでしょう」(専門家)

 そんなオランダ陸上界のひとつのエポックは、15年の世界選手権だった。この大会、黒人選手の牙城だった女子200メートルでダフネ・シパーズが金メダル獲得という偉業を達成する。このとき彼女を指導したバート・ベンネマコーチが語っていた「(人種は)僕らにとっては問題ではない。彼女は高い基準でパフォーマンスできる人で、ほしいのは勝利なんだ。そのことが彼女を良いアスリートだと証明している」との言葉には、指導者としての深い自信が感じられた。

 サニブラウンを指導するレイナ・レイダーコーチは米国人だが、必要なら外国人コーチの力を積極的に活用する柔軟さもオランダらしさに違いない。

 そんなオランダ流のノウハウを吸収して成長したサニブラウンの大物ぶりは、何よりその底知れぬ潜在能力にある。「世界記録を塗り替えたい」というとてつもない将来像を思い描き、自身の走りの完成度については「まだ全然、ほとんど何もできていない」と認識している。

 日本人ではまだ誰も見たことのない景色を見ようとしている18歳は「速く走っているときの、風に乗っている感じが気持ちいい」とも語っていた。その身体を流れていく風の感覚は今後、どのように変わっていくのだろうか。(文・高野祐太)