もう一度東レのユニフォームを着るのか。それとも、もうこのままユニフォームは着ずにバレーボールを辞めるのか。

 迷いに迷った末、木村が下した決断は「もう一度、日本でプレーしよう」だった。

 リオ五輪では、移動費やホテル代も高騰し、治安の悪さも報じられたこともあり、「何かあったら心配だから」と、現地応援を望んだ家族や友人には「日本から応援してほしい」と伝えていた。木村自身が決めたことではあったが、五輪が終わってみると「最後の試合はやはり今まで支えてくれた人たちに見てほしい」という思いも強く残った。

 体も鍛え直さなければならないし、長いリーグを戦うための準備を万全に行うための時間が十分でないこともわかっている。それでも「見てくれる人たちに感謝を伝えるシーズンにしたい」という思い、そして何より「自分自身もバレーボールを楽しみたい」という気持ちが勝った。

 10月10日、自身が更新したブログにはこう綴られていた。

「24番から始まった私のバレーボール人生は、最後、2番で締めくくります」

 30歳で迎える2016/17シーズンは「やる、と決めたからには何でもやる」とこれまで以上に強い覚悟と、感謝の心を持って臨む特別なシーズンになるはずだ。

 リオから東京へ。新たなスタートの時を迎える今シーズン。木村の雄姿はもちろん、来たる2020年の東京五輪で主役になるであろう選手たちや、Vプレミアリーグという特別な場所でそれぞれが掲げる課題にチャレンジする選手たち、チームの姿を見届けてほしい。

 バレーボールって面白い。

 そんな試合が1つでも多く繰り広げられることを、心から願って。(文・田中夕子)