右サイドのスペースに出たタテパスを浅野がキープして南野につなぐと、南野はペナルティーエリアにドリブルで侵入してからクロス。これはGKに弾かれたものの、こぼれ球を拾った原川がワントラップ後に左足のボレーシュート。ゴール前の混戦を抜けたシュートは、鮮やかにゴールネットに突き刺さり、リオ五輪の切符をつかみ取った。

 今シーズン、京都から川崎Fに移籍した原川は、現チームではボランチの控えという位置付けだった。なぜなら、遠藤と大島という不動の2人がいたからだ。しかし、初戦の北朝鮮戦は相手の屈強なフィジカルに苦戦を強いられると、指揮官は76分に大島に代えて原川を投入した。この試合を1-0で逃げ切ると、原川は続くタイ戦と準々決勝のイラン戦、そして強敵イラク戦でもスタメン出場を果たして、ここ一番で“大仕事”をやってのけた。

 もともと、ボール支配率で相手を上回り、攻撃的なクオリティーの高いサッカーでアジアを勝ち抜くのではなく、守備に重点を置いたリアリティーなサッカーで“結果”を求めた手倉森監督の決断も見逃せない。4-0で大勝したタイ戦、すでに決勝トーナメント進出を決めたサウジアラビア戦以外は、どちらが勝ってもおかしくない綱渡りの勝負だったが、そこでしっかり結果を出した。

 日本は原川のゴールに象徴されるように、特定の選手が持つ決定力に依存したチームではない。チームの団結力と労を惜しまない献身性を武器にリオ五輪の切符をつかんだ。これこそ、現在の日本代表の一番の武器だろう。

 ドーハでのアディショナルタイムの決勝点といえば、1993年のW杯予選が思い出される。右CKからオムラムに失点し、米国W杯出場の夢を断たれた“ドーハの悲劇”だ。当時のアル・アリ・スタジアムは改修されて別の場所に移動したが、カタールのメイン・スタジアムであるハリファで23年前の雪辱を果たせたことも感慨深い。

(サッカージャーナリスト・六川亨)