2014年夏、集団的自衛権の行使を認めるという憲法の解釈変更が閣議決定された。戦後という一時代に区切りをつける大きな出来事であったにもかかわらず、この前後でテレビ各局が時間を割いて報道していたのは、東京都議会の「セクハラ野次」問題と、公費の不明瞭使用が発覚して記者会見で泣き出した兵庫県議会の「号泣議員」のニュースだった。

「面白映像に飛びつき、そのニュースが本来持つ意味や重要性を意識せず、軽重を問わない。こんな事例が珍しくないほど、『本当に大事な問題』がテレビでは報じられない傾向が広がっている」(水島宏明著『内側から見たテレビ』より)

 自著『内側から見たテレビ』(朝日新書)の中でこう警鐘を鳴らすのは、法政大学社会学部教授の水島宏明氏だ。水島氏は大学卒業後、地方局でドキュメンタリー番組の制作に携わり、海外特派員を歴任後、在京キー局に入社。ドキュメント番組ディレクターと報道番組の解説キャスターを兼務するなど、30年以上、テレビ業界に従事してきた。

 水島氏は、テレビが視聴率至上主義になったことで報道はますますバラエティー化し、視聴者のクレームに過敏になりすぎて「誰でも言えるスタジオトーク」だけを展開していると指摘。テレビは一種の思考停止に陥っているのだという。

「『号泣議員』のような“小さな物語”で他局に勝つことに汲々とし、『解釈改憲』のような“大きな物語”を伝えようとする問題意識を失う。ジャーナリズムとして権力に敗北し続ける。残念ながら、それがテレビの現在の姿だろう」(同書より)

 水島氏はまた、権力側のテレビ報道に対する「牽制行為」についても疑問を投げかけている。

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