<……近代の少女たちは大人になることに「待った」をかけられた。彼女たちは、やがて妻として子供を「生産」させられる運命にあるのだが、とりあえず待て、といわれた。つまり、あらゆる意味で「生産」からはずされた。(中略)近代とはなんのかんのいいながら、日本人がなるべく「生産」から遠くに行こう、という時代だったといえる。誰もが消費者になりたかったのだ。だから、ぼくたちは自分自身を知るために少女文化を学ばなければならない>

■「オリーブ」の中の小泉今日子

 このように「少女」が特別、注目されていた時代に、少女文化をリードしていたのが雑誌「オリーブ」です。

 「オリーブ」は、1982年の創刊。当初は「ポパイ」の姉妹誌として、アメリカン・トラッドを志向していました。一年後に方向転換し、「パリの女子学生(リセエンヌ)」のライフスタイルを紹介する雑誌になってから、大ブレイクします。

 それまでのティーン向け雑誌は、良妻賢母への道を読者に歩ませようとしていました。「どうすれば男性にモテるか」という女性誌の伝統命題は、「いかにしてよい結婚をするか」という問いに変換できます。

「モテ」に直結しない「かわいらしさ」の牙城となった点で、「オリーブ」は画期的でした。そこで提案されるファッションや生活は、そうしたものにかこまれることで、だれよりも読者当人がうっとりすることをめざしたものでした。

 こうした雑誌が現れたのは時代の必然です。「大人になれない」時代がやってきて、「結婚」という未来から切りはなされた「少女性」をイメージしやすくなったこと。バブルにむかう好景気がはじまり、いつまでも夢の世界にひたっていられるムードがあったこと。さまざまな要因が、「オリーブ」を後押ししていました。

 山崎まどか『オリーブ少女ライフ』にはこう書かれています。

<私が熱心に読んでいた1985年、「オリーブ」は公称60万部の人気雑誌だった。(中略)私のように学校では変わり者の女の子も、人気者のグループも、洋服や素敵なことに関心がある子はみんな「オリーブ少女」だった>

 輝かしかった時代の「オリーブ」に、一推しにされていた女性アイドルが小泉今日子です。

小泉今日子とオリーブ少女と森ガール(中)につづく

※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など