「一般論として言えば、基本政策を共有する候補者や政治勢力が『一本化』することは、当選の可能性を上げるための現実的な手段です。ところが、細川さんが正式な出馬表明と政策の発表を告示前夜にまで引き延ばしたために、両陣営で政策などを協議する時間はほとんどなくなりました」(本書より)

 そんな厳しい状況で挑んだ都知事選。選挙には敗れたものの、落選後、宇都宮陣営は意外なほど前向きな活気に満ちていたという。宇都宮氏は当時のことを次のように述懐する。

「普通なら、選挙が終われば、選対は解散です。しかし私たちの選対『希望のまち東京をつくる会』のメンバーのほとんどが、そのまま解散せずに活動を継続していくことを選択しました。(中略)『これから4年、地道な活動を積み重ねていけば、次こそは勝てるかもしれない』という灯がともったのです」(本書より)

 2018年の都知事選に向けて、宇都宮氏、そして彼を支えるスタッフは既に動き出しているのである。

 1970年代の美濃部都政以降、リベラル勢力が都知事戦を制したことがなく、市民運動も社会のなかで徐々に存在感を失いつつある。しかし、彼は「諦めるのは早い」と語り、「悪」と対峙する道を選ぶ。

「(前略)市民が自らの人権を守る活動や、暮らしやすい社会を求める活動を諦めることがあってはならないと考えています。どんなに劣勢に立たされても、市民の闘う灯を絶やしてはならないのです」(本書より)

 昨今、宇都宮氏の言うような「善悪の二項対立の世界観」を忌避する向きもある。世の中はそんなに単純じゃないのだと。対案はどうするのだと。もちろん日本の社会は複雑で、具体的な対案を提示しないことには、話は前に進まない。ただ、そうした流れの中でも、あえて悪を見定め、それに敢然と立ち向かう姿勢を示す宇都宮氏に期待している人が多いのも事実だ。