「日本に帰ってきた時、つまり日本の大学人になった時の第一印象は今でも忘れることができません。(中略)鎖国状態というか、完全に世界から取り残された状態。世界の大学が今どういうことになっているか、まったく知らない、知ろうとしない、関係ないという閉ざされた社会。何もかもが驚きの連続でした」

 本書『弱肉強食の大学論』(朝日新書)の冒頭で、著者の一人である桜美林大学教授の諸星裕氏はそう語る。諸星氏は、ミネソタ州立セントクラウド大学教授を経てミネソタ州立大学秋田校学長に就任後、現職に至るが、冒頭の発言は米国から日本に帰国した1989年当時の気持ちを語ったものだ。今でこそ、日本の大学教育の“ガラパゴス化”は問題視されるようになっているが、彼によると、当時から既に日本の大学教育は世界の前線とは大きくかけ離れており、国際的に活躍する人材を生み出すのは非常に難しかったという。

 日本の大学には克服しなければならない致命的な欠陥が数多く存在し、それと同時に、いわゆる「グローバル化」にも対応できるように変革していかなければならない。しかし、欠陥を“除去”しないまま、ほとんどの大学が「グローバル人材を育てる」との大合唱をしていることに諸星氏は疑問を呈している。大学全体としての明確なビジョンがままならない状態でグローバル化を推し進めても、本当に世界で活躍できる人材を輩出できるのか、というのだ。

 一方、本書で諸星氏の対談相手を務める、国際教養大学学長の鈴木典比古氏は、日本の大学教育をこう分析している。

「二〇世紀までの日本の人材育成、あるいは大学教育というのはいわば“人工植林型”だったと捉えています。この区画には松、この区画には杉といった形で植林していく。(中略)そうすると、その後の製材や建築素材などへの効率が良かった。効率性というものを重視するならば、それでよかった」(本書より)

 彼曰く、このような効率を前提とした同質的な能力、同質的な考え方を養うという教育方針のおかげで、日本は世界で並外れて成功した国。しかし、それが通用したのは二〇世紀までであり、時代とともに原理原則は変わらなければいけないという。

 では、今後の大学界はどのようにしていくべきなのか。鈴木氏はこう提言する

「『雑木林型』教育での人材育成というものを考えていて、先に言った人工植林型から、この雑木林型へ教育方法、人材育成方法が変わっていかなければいけないと思っています。(中略)雑木林では一本一本、それぞれが『個』として育っています。そして、一本一本が、それぞれお天道様を目指して育っていく、成長していく」(本書より)

 人工植林だと使い道はある程度限定されたものになり、用がなくなれば、その林全体が無意味化し、滅んでしまうかもしれない。雑木林型の教育であれば、建築材に適したまっすぐな木は少ないかもしれないし、全体像としては雑然としているかもしれないが、雑木林で育った木は一本一本が強く、それぞれ異なったものを持っているということだ。

 このような教育改革を急激に行うことは難しいことではあるが、日本の大学の現状もわずかに改善してきたと諸星氏と鈴木氏は口を揃える。グローバル化を闇雲に叫ぶだけでなく、今後も、それぞれの学校が明確なビジョンを掲げ、目の前にある課題から地道に努力していくことが必要であろう。