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信長が嫌いだった象徴天皇制、“象徴”をめぐる天皇の歴史

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不毛な憲法論議

東谷暁著

978-4022735577

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 今年4月に結婚55周年を迎えられた天皇皇后両陛下。象徴天皇制を定めた日本国憲法下で初めて即位した天皇、皇后であり、象徴天皇の歴史とともに歩まれてきた存在だが、一方で「象徴」という概念はどこから生まれ、どう議論されてきたのだろうか?

 日本国憲法第1条では、天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」と規定している。だとすれば、憲法制定に携わった連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のダグラス・マッカーサーが、“生みの親”ではないかと思えるが、マッカーサーが「象徴」の規定を指示した形跡はない。そのことから、憲法学者の間では草案の過程で日本に根差したものとして採用された“歴史起源”の考え方が、一般的になっていったという。

 フリージャーナリストの東谷暁氏は、著書『不毛な憲法議論』で、象徴天皇制についてこう述べている。

「日本の天皇はもともと『象徴』としての存在であって、たとえ逸脱するような局面があったとしても、それは歴史のなかでみれば例外的だったというのは、最近の天皇論においては一定の支持を受けている」

 つまり象徴としての天皇という概念は、戦後に憲法で規定されて初めて生まれたものではないというのだ。

 たとえば戦国・安土桃山時代にもその考えはあった。当時の朝廷は戦国大名に領地を次々と奪われ、財政難に苦しんでおり、時の正親町(おおぎまち)天皇は、自身の即位式さえも大名の支援なしには行えないほどだった。だが、正親町天皇は、そんな状況下でも、天下統一を目指す織田信長と“天皇の権威”を巧みに利用し、朝廷再建を図ろうとしたといわれている。

 同書でも、歴史起源説の権威である歴史学者・今谷氏の言葉を引いて、この事実について触れている。

「このような隙のない『象徴天皇』こそ信長の最も嫌うところであった。それは、天皇が、一見信長の傀儡(あやつり人形)に見えながら、実は肝心のところでそうはなかったからである」(今谷明著『信長と天皇』より引用)

 さらに同書では、太平洋戦争敗戦直後、天皇家の行く末を不安視する気運の中、九条家出身の貞明皇后が「幕末以前に戻るだけだ。心配するな」と毅然とした言葉を残したとされることを綴っている。「彼女の一言はことの本質を言い当てていた」と前出・今谷氏は指摘しているが、事実、神格化された天皇の時代は終わりを告げ、以降は国政を担わない天皇へと回帰している。

 例外である明治から昭和初期を除けば、象徴制は断続的に続いてきた――歴史起源の視点から言えば、象徴天皇制は、その事実を『日本国憲法』に成文化したものということになる。

 もちろん象徴天皇制の“起源”について、その他の説も存在しており、同書ではいくつか紹介している。

 まず、GHQが日本の国政に近いとされる英国の君主制にならい、“シンボル”の言葉が登場するウォルター・バジョットの『英国憲政論』を参考にした説。

 また、GHQ陸軍情報部のソルバート心理戦争課長が草案第1稿で、天皇は軍事活動を正当化するシンボルとなり得るという前提のもと、「天皇シンボルは(彼の名前ではなく)、軍部への批判の正当化と平和への復帰を促し強化するために利用することができる」という記述から起草された説にも触れている。

 終戦から70年という節目を来年に控えた今年、日本の戦後と日本人を見つめ直す意味で、憲法をめぐる歴史や議論されてきた見解に、一度目を通してみる価値はありそうだ。


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