子どもは生まれる場所も親も選べません。今、そばに一緒にいる親こそが、その子の未来を幸せにも不幸にもすることを改めて自覚し、「自ら学ぶ子ども」に育てもらうヒントをお伝えしたいと思います。

■「ワーママ」としての再出発

 私の人生のどん底は、32歳のとき、恐ろしい悲劇が起こりました。大学を卒業して結婚し2人の子どもを授かり、主婦として母として平穏に暮らしていた時代です。

 ところが、夫であったフジテレビカイロ支局長の入江敏彦が、突然、ルワンダ難民取材中の小型飛行機墜落事故で亡くなり、私の人生は深い悲しみとともに大きく転換しました。

「取材に行ってくるよ」と笑顔でエジプトのカイロの自宅を出た夫、しかし、次に会った時は亡くなっていたのです。

 墜落事故現場に近いケニアのナイロビ市内の遺体安置所で、小さくなった遺体は全身が白い包帯で巻かれ、本当に夫だとはわかりませんでした。

 頭部の包帯がほどかれると真っ黒に焼け焦げた姿があらわになりました。

 抱きしめてなでても、手のひらは煤で黒くなるだけだったのです。

 こうして、事故後、私は、6歳の長男と生後11カ月の次男を連れ、4年ぶりにカイロから東京に帰国しました。絶望という言葉しかありませんでした。

 そして、東京で子育てと仕事に追われる激動の日々が始まります。

 幼くして父親を亡くした可哀想な子どもたちのために、「私がやらなくてはいけない」という思いが強く湧いてきたのです。

 契約スタッフから中途社員に登用されたフジテレビでは編成業務・バラエティ制作・フジテレビキッズなどでコンテンツの企画や制作を行い、部長職までつとめました。

 働き始めたころは、子どもたちが寝た後、夫のことを思い出して泣く夜もありましたが、とにかく子どもたちの前では「笑顔」でいようと誓いました。

 何より私自身、あの恐ろしい出来事によってどん底に突き落とされた人生からリボーンしたい、と自分自身を奮い立たせていたのだと思います。

 目標はもちろん「2人の子どもをしっかりと世に送り出すここと」でした。

 そのためにも「自ら学ぶ子ども」に育てようと決意しました。

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短い時間でも集中して子どもに全力で向き合う