代表選手たちは国の威信をかけひたすらに白球を追い続けているが、大会の裏側を覗くと、意外な側面が垣間見える。二〇〇八年の北京オリンピックを最後に、野球とソフトボールは正式競技から外された。大会種目でなくなったため、IOC(国際オリンピック委員会)は、IBAF(国際野球連盟)とISF(国際ソフトボール連盟)への助成金をカットした。

 この二つの組織は、たちまちのうちに財政難に陥ったのである。

 もともとアマチュアを統括する組織だったため、MLBとその選手会が主催するWBCの収益が分配されることもなく、彼らは自分たちの主催試合すらできなくなってしまった。プレミア12は、言うなれば国際野球連盟と国際ソフトボール連盟救済と五輪競技復帰を目的に設立された国際大会と言っても過言ではないのだ(収益の一部は競技の普及活動やオリンピックでの正式種目復活活動などに使われる)。

 また、以前のアマチュア野球の世界選手権を衣替えした新国際大会がこのプレミア12だ。大会の正式名称『世界野球WBSCプレミア12』にある「WBSC(世界野球ソフトボール連盟)」は、国際野球連盟と国際ソフトボール連盟が発足させた新しい国際組織のことだ。

 そして、この新しい国際大会には世界ランキング上位十二ヵ国が招待される(開催は四年ごと)。この大会が始まって初めて知ったのだが、日本は世界ランキング一位なのだそうだ。二位がアメリカで、韓国は八位だ(韓国は当然のように猛反発)。

 記念すべき第一回大会は予選ラウンドと準々決勝が台湾で行なわれ、準決勝・三位決定戦・決勝戦が日本で行なわれる。この大会日程が決まるまでの経緯にも裏がある。NPB(日本野球機構)関係者が言う。

「当初、第一回大会は日本で単独開催される予定でした。ところが放映権料やスポンサー料など、日本側が要求した“取り分”がIBAFの想定とかけ離れていた。IBAFはそれを金儲け主義と嫌悪して、一度、台湾開催に方針転換したのです。

 ただ、それだと財政難のIBAFにも“ジャパンマネー”があまり入らないことになる。紆余曲折の末、日台共催のかたちに落ち着いたわけです」

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