小学6年生の娘が、中学入試にパスした。彼女の塾通いは週に1度だけで、あとは私と息子が教えた。塾は4教科受講が基本なのだけどお願いしたら特別に理科社会のみの受講を許可していただけた。言ってみるものだ。

 自宅では息子が算数、私が国語を教えていた。時間をかけて丁寧に教えたりはしていない。私はとにかく本を読みなさいと娘に言っていて、娘も本を借りに図書館に足しげく通った。赤川次郎さんや東野圭吾さんやルパンやホームズなど、推理小説ばかり読んでいたけれどむしろそれが良かった。

「犯人は○○かもしれない。だって彼はこんな気持ちだったから、人を殺したくなったんでしょう?」
 などと心情を推測するのがうまくなったからだ。結果的に非常に効果的な国語学習ができたと言えるかもしれない。

 そして算数はというと、どうしてもわからない問題だけお兄ちゃんに聞いて、あとは独学で頑張っていた。お兄ちゃんに「こんなこともわからないの?」とバカにされるのが悔しくて勉強を頑張った、これもある意味効果的な学習法だったと言える。

 かくして家族からの温かい(?)応援のなか、入試に挑んだ娘。合格発表当日、私はどうにもそわそわして食事を作ることができず、390円のチキンカツ弁当を買って娘と食べた。

 そして合格発表の時間に少し遅れて駆けつけると、校門からぞろぞろと出て行く人達とすれ違った。合格者の受験番号が貼り出されていて、娘は自分の数字がそこにあるのを確認した。
 けれどあまり喜んでいない。
 どうしたの? と聞くと、
 さっき帰った人達、あれは、落ちた人なの? とつぶやいた。
 そう、合格した人は手続きがあるのですぐは帰らない。帰ったということはつまり番号がなかったということなのだった。

 母親と共にしょんぼり帰っていった女の子の顔が目に焼きついていたらしく、娘はしばらく考え込んでいた。学校には定員があるので、これはどうしようもないことだけど、彼女が生まれて初めて目の当たりにした運命の分かれ道だったのだろう。優しい娘は素直に喜んでいいものかどうか戸惑っていたのだ。

 あなたに出来ることは、入りたいのに入れなかった人の分まで学校生活を楽しむことだと思うよ、と心の中でつぶやきながら、私はそっと娘の頭を撫でた。