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第3回 小泉今日子とオリーブ少女と森ガール

文・助川幸逸郎

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■「少女」と「消費文化」

 小泉今日子が、「女の子に支持される女性アイドル」として、時代を駆けていた80年代半ば、言論界では「少女」ブームが起きていました。宮迫千鶴『超少女へ』(1984)、山根一眞『変体少女文字の研究』(1986)、本田和子『少女浮遊』(1986)など、「少女」をテーマとする書籍が相次いで登場。女性アイドル論もさかんで、野々村文宏・中森明夫・田口賢司の鼎談『卒業 KYON2に向って』(1985)や竹内義和『清純少女歌手の研究・アイドル文化論』(1987)などが出版されています。

 どうしてこの時期に、「少女」に関心が集まったのでしょうか。

 1950年代後半から、「既成の権威に異議申し立てをする文化=対抗(カウンター)文化(カルチャー)」がワールド・ワイドに広まりました。ロックンロールやモダン・ジャズがその象徴です。こうした「対抗文化」が、伝統的な「主流(メイン)文化(カルチャー)=純文学やクラシック音楽など」と対立していく構図が、15年ほどつづきました。60年代は、世界各国で学生運動が活発であり、「怒れる若者たち」が「対抗文化」を支えていました。

 1973年のオイルショックと前後して、この構図に変化が生まれます。学生運動が衰退し、「対抗文化」が勢いを失ういっぽう、「主流文化」も権威も低下します。60年代の「怒れる若者たち」も、社会人になると「反逆」のトーンをゆるめ、下の世代の青年もそれにならいました。かといって、昔ながらの「主流文化」に栄光はもどらず、それらは次第に過去のものとみなされていきました。

「主流文化」と「対抗文化」の対立が崩れたのち、日本の文化シーンは、「消費文化」と「おたく文化」の両極がリードするようになります。

 生活水準が向上し、自家用車も家電もだれもが買えるようになると、消費によって自己表現する傾向があらわれました。自分の属する文化圏や社会的ステイタスを、どんなクルマに乗り、どこのブランドの服を着るかによってアピールする風潮が生まれたのです。

 こうした「消費による自己表現=消費文化」についていけない層もありました。「消費文化」からのそうした「落ちこぼれ」のなかで、マニアックなことに関心のある人びとが、「おたく文化」を生み出します。

「消費文化」も「おたく文化」も、「成熟」とは無縁なところは共通しています。消費は未成年にもできますし、アニメや特撮といった「子ども向けコンテンツ」を、いい歳になっても観ているのがおたくです。「主流文化=まっとうな大人が身に着けるべき文化」が衰えた後、何が「大人になること」なのかはっきりしなくなりました。「消費文化」対「おたく文化」という構図ができたことは、「大人になること」が難しい時代の到来を物語ります。

 オイルショックのころに兆した「大人になりにくい状況」は、80年代になると、どこから見てもあきらかになりました。この時期、「モラトリアム人間」や「ピーターパン症候群」といった用語で、「いつまでも成熟しない人びと」が頻りに論じられています。

「少女」が注目されていたのは、そうした「大人にならない生き方」のモデルとみなされたからです。80年代少女論の総括といえる『少女民俗学』(1989)のなかで、大塚英志はいっています。

<……近代の少女たちは大人になることに「待った」をかけられた。彼女たちは、やがて妻として子供を「生産」させられる運命にあるのだが、とりあえず待て、といわれた。つまり、あらゆる意味で「生産」からはずされた。(中略)近代とはなんのかんのいいながら、日本人がなるべく「生産」から遠くに行こう、という時代だったといえる。誰もが消費者になりたかったのだ。だから、ぼくたちは自分自身を知るために少女文化を学ばなければならない>

■「オリーブ」の中の小泉今日子

 このように「少女」が特別、注目されていた時代に、少女文化をリードしていたのが雑誌「オリーブ」です。

 「オリーブ」は、1982年の創刊。当初は「ポパイ」の姉妹誌として、アメリカン・トラッドを志向していました。一年後に方向転換し、「パリの女子学生(リセエンヌ)」のライフスタイルを紹介する雑誌になってから、大ブレイクします。

 それまでのティーン向け雑誌は、良妻賢母への道を読者に歩ませようとしていました。「どうすれば男性にモテるか」という女性誌の伝統命題は、「いかにしてよい結婚をするか」という問いに変換できます。

「モテ」に直結しない「かわいらしさ」の牙城となった点で、「オリーブ」は画期的でした。そこで提案されるファッションや生活は、そうしたものにかこまれることで、だれよりも読者当人がうっとりすることをめざしたものでした。

 こうした雑誌が現れたのは時代の必然です。「大人になれない」時代がやってきて、「結婚」という未来から切りはなされた「少女性」をイメージしやすくなったこと。バブルにむかう好景気がはじまり、いつまでも夢の世界にひたっていられるムードがあったこと。さまざまな要因が、「オリーブ」を後押ししていました。

 山崎まどか『オリーブ少女ライフ』にはこう書かれています。

<私が熱心に読んでいた1985年、「オリーブ」は公称60万部の人気雑誌だった。(中略)私のように学校では変わり者の女の子も、人気者のグループも、洋服や素敵なことに関心がある子はみんな「オリーブ少女」だった>

 輝かしかった時代の「オリーブ」に、一推しにされていた女性アイドルが小泉今日子です。


(更新 2014/12/18 )


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助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)

 1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など

※当コラムをテーマにした、助川幸逸郎先生の講座をよみうりカルチャー自由が丘で開催
http://www.ync.ne.jp/jiyugaoka/kouza/201504-01210123.htm
問い合わせは同センター 03-3723-7100

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