ゴールデンウイークは、福岡の実家に帰省していました。
 そこで久しぶりに高校時代の友人達と会いました。
 五月の後半に自分が通っていた高校の後輩達に講演をするので、その打合せを行ったのです。
 30数年ぶりに会う人間もいたのに、すっとあの頃の気分に戻れるのは、不思議なものですね。
 田舎から東京に出てきて、もう32年。
 方言も忘れてしまい、帰省したときに自分がしゃべる田舎言葉が嘘くさく感じて、むしろ標準語のほうがまだ気持ちがいいと思うときもあったのですが、5、6人の同級生達と話していると、いつもよりもはるかに自然に方言が口からでているのに気づいて、「ああ、これが友人パワーなんだなあ」と、妙なところで感じ入ったりもしました。

 実家には年に一、二度は必ず帰っていたのですが、親もどんどん歳をとっていくし、駅前の町に出ても人は殆どいないし、知っていた店も次々に閉店していていわゆるシャッター商店街の典型だし、なんだか寂しい気持ちばかり募っていました。
 でも今回は、その町に根付いて暮らしている連中と再会したことで、若干印象が変わりましたね。
 ちょっと大げさに言えば、時間が止まっていた町が動き出したような感じ。あくまで僕の気持ちなんですが。

 ご多分にもれず不景気の波は確実に故郷の町にも襲いかかっているようで、同級生の中の一人が言っていた「自分の子供達に何が残せるか考えないと」という言葉が印象的でした。
 
 実家の本棚には、高校生の時に買った本が残っていました。
 先日取り上げた、井上ひさしさんの『ブンとフン』の文庫もありました。
 市立図書館で単行本版を読んだあとしばらくして文庫になったときに、速攻で買っていたのですね。
 それ以来だから、30数年ぶりに読み直してみました。
 後半の展開を忘れていたので、ご本人も「もっとも小説作法から外れていると思われるこの終わり方を選んだ」とあとがきで書かれているラストの投げっぱなしぷりに驚きました。
『ブンとフン』の話を書いたときに、朝日ソノラマのサン・ヤングという小説のシリーズに触れました。ここからは、なかなか思い出深い作品が多く刊行されています。小林信彦氏の『オヨヨ島の冒険』や平井和正氏の『超革命的中学生集団』、光瀬龍氏の『暁はただ銀色』などなど、同世代ならタイトルを聞いただけで「おお」と思い出す作品ではないでしょうか。『オヨヨ島の冒険』や『暁はただ銀色』は、NHKの少年ドラマシリーズにもなりましたしね。その辺りの本が無性に読みたくなり、本棚を漁ったのですが、残念ながら処分してしまったようです。その代わりに、このシリーズではないのですが、光瀬龍氏の『明日への追跡』というジュヴナイルSFを見つけました。確かこの作品も少年ドラマシリーズでテレビドラマ化されたはずです。(ドラマ化の際には、これだけではなく氏の他の作品も一緒にしていたと思いますが) 高校時代の本棚を眺めていると、その当時の自分が何を考えていたかとか思い出されて、懐かしくもあり気恥ずかしくもありますね。
 と、同時に、いま、高校生はどんな小説を読んでるんだろう。やっぱりライトノベルなんだろうか。じゃあ、自分達があの当時読んでいたジュヴナイルSFは、今でいうところのライトノベルの位置づけだったんだろうか。そうも言い切れない気がするのは、なぜなんだろう、などという思いにもかられます。

 そういえば、ちょうど帰省しているときに、自分がシナリオを書いた『仮面ライダーW』が放送されました。
 高校時代、「あんた、まだこげなテレビ観るとね」という親の冷たい視線を受けながら「さすがにこういうのはもう卒業せんとなあ」と思いながらも、『仮面ライダーストロンガー』とかを観ていた同じ部屋で、親はおろか自分の家族と一緒に、自分が書いた『仮面ライダー』を観る日が来るとは想像してませんでした。
 
 なんだか今回の帰省は、高校時代の自分をやたらに思い出す日々でした。それもただ「懐かしいなあ」と感傷に耽るのではなく、結果的に今の自分が照らし出されるような。自分の後輩の高校生達に講演会でどんなことを言えばいいのか、色々考えてしまっているのでしょうね。