【Vol.13】広々とした山地が広がる東京西部。その入り口の町で繰り広げられるリズムの共演
舞台はかつての宿場町。
祭りの歴史は500年以上
都心から電車に揺られることおよそ1時間半、関東山地と武蔵野台地の境界部に広がる青梅市に到着する。かつてこの町は白壁の原料となる成木石灰の産地として栄え、成木街道(現在の青梅街道)の宿場町としてにぎわったという。青梅の中心部には今も古い商家や酒蔵が点在しているほか、背後には山地が広がっていることから、都心とは異なるゆったりとした時間が流れている。
そんな青梅市を代表する祭りが青梅大祭だ。この祭りは青梅村の鎮守社である住吉神社の拝殿を改修した際、五つの氏子地域で祭礼を行ったのが始まりとされている。それが1513年のことといわれており、その歴史は実に500年以上。明治に入ってからは現在祭りの目玉となっているきらびやかな山車が登場した。江戸の人形師たちがその腕を振るった山車人形の美しさ、囃子連がたたき出すにぎやかな囃子のリズムが多くの人々を魅了し、現在では市外からも多数の見物客がやってくる青梅市最大の祭りとなった。
祭り最大の見せ場は
ダイナミックな囃子の競り合い
青梅大祭は2日間にわたって行われ、2日目には12台の山車が巡行する。街道の各ポイントにはそれぞれの町会自慢の山車人形が展示されており(12町のうち人形を所有しているのは一部)、それを眺めながら町歩きを楽しむのもいいだろう。また、12台の山車にはそれぞれ囃子連が乗り込み、威勢のいいリズムをたたきだしているほか、居囃子と呼ばれる固定型の囃子連も立ち並ぶ。そのため祭りの最中はあらゆる場所で囃子が鳴り響いており、まるでリズムによって青梅の町がジャックされてしまったかのような雰囲気だ。
祭り最大の見せ場は、山車が行き交う際に行われる囃子の競り合い。これは「ひっかわせ」と呼ばれ、いわば囃子による「音の喧嘩」である。こうした囃子の競り合いは日本各地の祭りで行われているが、歌や演奏によって競い合う習慣は、ヒップホップのラップバトルなどさまざまなジャンルでも見られる。「ひっかわせ」はその原点ともいえるものだが、囃子連の生き生きとした表情を見ていると、青梅大祭もまた現代を生きる芸能文化であることを強く実感させられる。
なお、東京の総面積の約1/3は森林が占めており、その多くは青梅市や奥多摩町が連なる東京西部に集中している。都心から青梅までは電車を使ってもそれなりの時間がかかるが、青梅大祭に足を運ぶことで、東京の「もうひとつの顔」と出会うことができるだろう。
文:大石始 写真提供:青梅大祭実行委員会
本企画は『東京の魅力発信プロジェクト』に採択されています。
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