【Vol.18】コラムニスト・山崎まどかさんを魅了する東京名物「神田古本まつり」の歩き方
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神保町は古本の街だ。
こんなふうに古書店が密集している街は、世界にも類がないという。
靖国通りやその裏通りにある古書店で古本を探すことは、20代の頃からの私のフィールドワークになっている。稀覯(きこう)書のマニアでなくても、古本ハンティングはときめく。
神保町のファンはみんな秋を楽しみにしている。10月の終わりから11月の初めにかけて「神田古本まつり」があるからだ。古書の即売展やオークションなどもあるが、メインイベントと言えば何といっても青空古本市だ。靖国通り沿いに古本を並べた各古書店のブースがズラリと並ぶ。500メートルにも及ぶ“本の回廊”である。古本市に出される本の数は100万冊にものぼるという。
全国から古本のファンがやってくる。若い人や、最近では観光客らしき外国人も目立つ。普段は古い本に興味がない人でも、面白そうなものを探してみようかという気持ちになるのが古本市だ。書店とは違う、祝祭的な空間で見る古い本の背表紙が、屋台のおもちゃや金魚と同じくらいキラキラして見える。
掘り出し物でも、そうでなくても、古本まつりで本を買うのは楽しい。お祭りだから、と自分に言い聞かせて、前から欲しかった少し高い本を買ってしまう。状態の良いきれいなものを見つけたら、いつか読もうと思っていた古典の文庫も買ってしまう。こんな本があるなんて知らなかったという本があったら買い、昔持っていたけど、何らかの拍子に手放してしまった懐かしい本を買い、表紙や函(はこ)が美しかったら買い、好きな作家や写真家の作品集だったら買う。ついつい買いすぎて、トートバッグやバックパックに入りきらないこともあるけれど、古本は一期一会だ。たった今、逃してしまったらその古本とは二度と会えない。物理的に見つからないという意味だけではない。同じ本を別の機会に見かけても、古本まつりで見つけた時のようにワクワクせずに通り過ぎてしまう可能性だってある。その結果、私は出合うはずだった物語を一つ、失う。
今年は通りの出店で、絣(かすり)の着物のような渋い色の函に入った本を見つけた。手書きのタイトルは『待つ』。1930年代から60年代まで、長きにわたって活躍した随筆家の森田たまのエッセイ集だ。本人が手がける装丁にはファンが多く、『きもの随筆』や『もめん随筆』といった作品は女性の古本ファンの定番になっている。ページをめくってみると、昭和34年に出たこの本は、20冊目のエッセイ集になるとあとがきに書いてある。「大晦日」というタイトルのエッセイに目がとまった。彼女は年の暮れ、書店の店頭に積み上げられた新しい日記帳を見て、来年こそは日記をつけようと決意し、その年の書きさしの日記を処分するかどうか迷う。その正直な冒頭の文を見て、これを今年、最後に読む本にしようと決めた。古本まつりで買う本は、冬への備えのようなもの。寒い季節に、ぬくぬくと温まって読みたいような本を、つい探してしまう。
ガートルード・スタインの『みんなの自伝』を買い、そこでスタインがダシール・ハメットに会いたがっている箇所を拾い読みして、連想ゲームのように彼のパートナーだったリリアン・ヘルマンの自伝『未完の女』を買った。ニューヨークの古書店の女性店主が「興味深い食の描写がたくさんある」と語っていたジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』を見つけて買い、さらにロバート・アルトマンの『雨にぬれた舗道』の原作本を買った。映画のスチールが表紙に使われている角川文庫のシリーズは、古本を好きになったばかりの頃に集めていたものの一つだ。60年代のファッション誌も資料用におさえておこう。小さな買い物ばかりだが、それでも気持ち的には大漁だ。古本市で買った本を抱えて、好きなカフェやカレーのお店に行く。それだけで豊かな気持ちになれる。
文:山崎まどか
コラムニスト、翻訳家。女子文化全般、海外カルチャーから、映画、文学までをテーマに執筆。著書に『優雅な読書が最高の復讐である』『映画の感傷 山崎まどか映画エッセイ集』(共にDU BOOKS)、翻訳書にレナ・ダナム『ありがちな女じゃない』(河出書房新社)など。インスタグラムアカウントは@madokayamasaki
写真:伊佐ゆかり
取材撮影協力:神田古本まつり
http://jimbou.info/news/furuhon_fes_index.html
本企画は『東京の魅力発信プロジェクト』に採択されています。
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