【Vol.14】東京の一部がかつて農村だった時代の記憶をよみがえらせる、古式ゆかしい真冬の民俗行事
集落のなかで語り継がれてきた
祭りの所作と唱え言葉
1950年代までの東京では各地に田園風景が広がり、古くからの農村としての面影を残していた。板橋区の徳丸・赤塚地区もまた都内有数の田園地帯だったが、他の地域同様に宅地化が進み、その名残りは現在ほとんどない。徳丸・赤塚両地区で継承されている「田遊び」は、農村だった時代の集落の姿を今に伝える貴重な民俗行事だ。
田遊びとは五穀豊穣・子孫繁栄を祈願する予祝(よしゅく)芸能。日本各地でさまざまな形式の田遊びが行われている。徳丸の氏神である北野神社に伝わる縁起によると、徳丸の田遊びとは、徳丸の地に天満宮を建立した際に里人らにより奉納されたものがルーツ。言い伝えによるとそれは長徳元(995)年のことで、以来一度も休むことなく毎年行われてきたとされる。しかもその所作や唱え言葉は口伝。東京の片隅で、田遊びという古風な神事が1000年以上もの歳月続けてこられたというのは、もはや奇跡といってもいいだろう。
現在、徳丸の田遊びは天神講(てんじんこう)と呼ばれる氏子組織と保存会によって運営されている。参加人数は古くから16人と定められており、旧家の人々によって執り行われることが習わしとなってきた。
幻想的な舞台の上で
稲作の様子が演じられる
歴史ある古風な予祝芸能ではあるものの、祭りの雰囲気自体はリラックスしたもの。参加者のあいだでも時たま笑顔があふれる。娯楽が少なかった時代、村民たちにとって田遊びは一年に一度の楽しみでもあったのだろう。
田遊びの舞台となるのは、注連縄(しめなわ)と青竹で形作られた「もがり」。闇夜のなかに手作りの舞台がぼんやりと浮かび上がる光景はどこか幻想的で、中世の農村にタイムスリップしてしまったかのような錯覚に陥る。それと同時に、現代の舞台空間が伝統的な農村風景のなかに出現したかのような不思議なモダンさを感じるのもこの「もがり」の特徴だ。
徳丸の田遊びは朝9時の餅つきからスタートする。舞台や道具の準備を終えると、午後6時から8時までは「もがり」の中で一年間の稲作の様子が演じられる。田打ち、種まき、鳥追いなどの行程が演じられる一方で、暴れ牛や早乙女、獅子、ヨネボウと呼ばれる人形などさまざまなキャラクターが登場する。そのなかでも一番の笑いが起きるのが、太郎次・やすめという夫婦役が絡み合うシーンだ。
田遊びのなかでは数多くの歌がうたわれ、言葉が唱えられる。長い歳月を経て伝えられてきたその歌と言葉は実に力強く、素朴な美しさがある。1000年以上の歴史を誇る農村のエンターテインメントは、現在の視点から見ても十分刺激的。東京のもうひとつの姿に触れることのできる、貴重な民俗行事である。
文:大石始 写真:大石慶子
本企画は『東京の魅力発信プロジェクト』に採択されています。
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