【Vol.12】龍神が練り、獅子が舞う不思議な民俗行事。その歴史は約700年を誇る
水止舞の背景に広がる
かつての集落の物語
東京湾に面した大田区大森は、のりの産地としても栄えた古くからの漁師町だ。その一角に、文永9(1272)年に海岸寺という名で創建された厳正寺という古刹(こさつ)がたたずんでいる。毎年7月、この厳正寺で水止舞という民俗行事が行われている。この水止舞、ユニークなのは前半に雨乞いを目的とする「道行(みちゆき)」が行われ、後半では雨がやむことを願う「水止舞」が奉納されるという点。なぜわざわざ雨を降らせたあと、それをやませようとするのか。その背景にはこんなストーリーがあった。
元亨元(1321)年、大干ばつに苦しむ村民たちは住職の第二世法密上人(だいにせい・ほうみつしょうにん)に雨乞いの祈祷を願い出た。法密上人は稲荷明神の像を彫り、わらで龍神を作って7日間祈祷を続けた。その龍神を海へ沈めると、突如雨が降り始めたという。その2年後、今度は数十日間雨が降り続け、村民たちのなかには法密上人の祈祷のせいだと恨むものも出てくる始末。そこで法密上人は3頭の龍像を彫り、それを村民たちにかぶらせて踊らせた。笛や太鼓をたたかせ、ほら貝を吹かせると、降り注いでいた大雨がやんだ。その結果、村民たちは水止舞を寺へ奉納するようになったという――。この逸話をもとに、現在も雨乞いと、雨がやむことを願う「水止舞」が続けて行われているわけだ。
水止舞から垣間見える
東京のディープサイド
水止舞は雨乞いの目的を持つ「道行」から始まる。これはわらで編んだ縄を巻き上げた2体の龍神のなかにほら貝を吹く男2人が入り、厳正寺までの150メートルほどの道のりを転がりながら進んでいくというもの。龍神は古来、水をつかさどる神とされることから、沿道の人々は2体の龍神に対して水をかけることによって降雨を祈念する。龍神のなかの男たちはゴロゴロと路上を転がりながらほら貝を吹き続けているわけで、その光景は一見奇妙なものに映るかもしれない。だが、沿道の人々の楽しそうな表情を見ていると、これもまた住民たちの楽しみも兼ねた祭りの一種であることが伝わってくる。
2体の龍神はやがて厳正寺の境内に設置された舞台へ。いよいよ水止舞のスタートだ。ここでは雨が降りやむことを願い、3匹の獅子と花籠2人がいくつもの舞を奉納する。獅子の舞もダイナミックな魅力たっぷりだが、笛と奉納唄の響きにも古風な味わいがある。
なお、現在の厳正寺は六世の住職の際に密教系の天台宗から浄土真宗へと宗旨替えしているため、水止舞も法密上人の時代のように加持祈祷として行われているのではなく、仏様への感謝の舞として行われているという。多摩川のデルタ地帯である大森は古くから水はけが悪く、たびたび水害に悩まされてきた地。雨を降らせ、やむことを願った水止舞は、かつての大森の暮らしを現代に伝えるものでもある。約700年前の漁村へとタイムスリップしてしまう摩訶不思議な民俗行事「水止舞」。東京のディープサイドを知るため、ぜひ足を運んでいただきたい。
文:大石始 写真:大石慶子
本企画は『東京の魅力発信プロジェクト』に採択されています。
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