そして程なく、Pan Africanism(パン・アフリカ主義)という言葉が、トークセッションが繰り広げられる会場のどこからともなく出始めた。パン・アフリカ主義とは、アフリカに出自を持つ人々全体で連帯することを旨とする考えかたのことだ。

 ハネコム氏、マイケル氏ともスピーチの中で、南アの観光業の魅力とその重要性、経済効果をうたう一方で、「この大陸」「アフリカの魂」「純粋なアフリカ人」「分かち合う」といった荘厳な言葉を散りばめていた。私は彼らのスピーチを聞きながら、“We”が南アを指すのかアフリカ全体を指すのかがわからなくなることが、何度もあった。

 この会場でパン・アフリカ主義についての議論を深めるのは少々無理があることに同情しつつも、INDABAのホスト国として、観光業の側面から、南アがアフリカ全体をいかに束ねるつもりなのかを問う質問が相次いだことには、私も共感を覚える。結局この日に、ハネコム氏ら登壇者から、パン・アフリカ主義の実現について具体的な実現策や構想が語られることはなかった。

 では実際のところ、会場はどのような雰囲気に包まれていたのだろうか。

 正直、開催初日に会場内を一巡した時点では、拍子抜けした感が否めなかった。出展ブースのほとんどは、南アからの出展。ジンバブエ、ナミビアなど南ア以外のブースもあるが、数は少なく、南部アフリカの国々にほぼ限られている。フランス語圏アフリカからの出展にいたっては、私が見つけられたのはコンゴ民主共和国のみ。アフリカを大陸ベースで標榜するには、偏りが大きい。

 今回の視察団に同行していた南アフリカ観光局トレードリレーションシップ・マネージャーの近藤由佳氏に、なぜ南アからの出展が多いのか、南部アフリカの国々に偏っているのかをたずねた。近藤氏は、率直に、ありのままを語ってくれた。

 INDABAでアフリカ全土に対象を広げ始めたのは、ここ2、3年のこと(厳密には、南ア以外からの出展は一部続いていたが、INDABAとしてアフリカ全域を積極的に視野に入れるようになったのがここ2、3年なのだという)で、そもそもINDABAは、南アの観光業に特化した見本市としてスタートしたものだった。

 自国と比べれば富とチャンスにあふれているように見える南アに、アフリカ各国から職を求めて多くの人が流れ続けた結果、南アだけでは不法移民を抱えきれなくなった。南ア国籍を有する人々と同じ待遇の行政サービスを、出稼ぎに来た人々に等しく与えることには限界がある。出稼ぎに来る人々を水際で拒むのではなく、「あなたたちの国も(あなたたちの国の中で)がんばりましょうよ」との方針を策定した結果、INDABA出展対象国を南アからアフリカ全域へ拡大するにいたったのだという。南部アフリカの国々からの出展が多いのは、南アがSADC(南部アフリカ開発共同体)の加盟国であり、SADC加盟国とのつながりが深いからだ。

 では、「共倒れにならない」がために広く門を開き始めたこのINDABAにがっかりしたかといえば、全くそんなことはない。むしろ、その逆だ。

※後編につづく

岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。ニュースサイトdot.(ドット)にて「築地市場の目利きたち」を連載中