跡地が語る「運命の岐路」。菊池東太の新作「日系アメリカ人強制収容所」を見る 〈アサヒカメラ〉|AERA dot. (アエラドット)

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跡地が語る「運命の岐路」。菊池東太の新作「日系アメリカ人強制収容所」を見る

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マンザナー収容所(カリフォルニア州) (C)Tota Kikuchi

マンザナー収容所(カリフォルニア州) (C)Tota Kikuchi

 アメリカ南西部に広がる雄大な自然や国立・州立公園の美しい姿や、アリゾナ州とニューメキシコ州の間にあるアメリカ最大のインディアン居留地「ナバホ・リザベーション」に暮らす人々の生活を記録してきた写真家・菊池東太。新作の写真展が、東京の銀座ニコンサロンで12月1日まで開催されている。今回菊池は、第二次世界大戦時に設けられた日系アメリカ人強制収容所の跡地を訪ねた作品を展示する。

 日米開戦から2カ月後の1942年2月、ルーズベルト米大統領は、国家の脅威になるという口実のもと国内に住む日系アメリカ人たちを強制収容させた。通知を受けた人々は、1週間以内に持てるだけの荷物を持ち、指定された集合センターに行かなければならなかった。当時アメリカ国内に居住していた日系アメリカ人の95%に及ぶ12万313人が、カリフォルニア、アリゾナ、アーカンソー、コロラド、ワイオミング、アイダホ、ユタにある10カ所の収容所に連行された。そのうちの70%がアメリカの市民権を持つ米国民だった。
 夏には摂氏50度を超える灼熱の地や、冬にマイナス30度を下回るような極寒の地、猛毒を持つガラガラヘビやサソリの棲む砂漠など、収容所が建設された土地はさまざまな環境であった。収容された人々の大半は街中の住人で、このような過酷な環境には不慣れな人が多かった。
 終戦とともに収容所は閉鎖され、日系アメリカ人たちは開放された。跡地の大半は今では内務省国立公園局の管理下に置かれ、歴史保存地区として見学者を受け入れている。跡地は、畑に変わっていたり、和風庭園の跡と思われる庭石がそのまま残されていたり、終戦後に近隣の住民に買い取られ住居や倉庫になっていたりと、さまざまである。1988年8月10日、レーガン米大統領は議会でこの問題について謝罪し、元収容者1人につき2万ドルを支払うことで決着をつけた。

 広大なアメリカの自然の中に、バラックや収容所の跡が取り残されている。地平線の先には険しい山々がそびえ、乾燥した大地には草木がまばらに生えているだけだ。突然の命令を受け収容されていた日系アメリカ人たちは、どんな気持ちでこれらの風景を見ていたのだろうか。超高画素カメラであるソニーのa7RⅡによって精密に描写された写真群からは、「日系アメリカ人強制収容所跡地」という現在の姿だけではなく、過酷な状況の中で生きた人々の心情や情景までもが写されているのかもしれない。

*「アサヒカメラ」12月号(11月20日発売)に同シリーズの作品が掲載されます。

プロフィール
菊池東太(きくち・とうた)
1943年大阪府生まれ。出版社勤務の後、フリーになる。日本写真芸術専門学校講師を長年務め2012年に退任。日本カメラ財団にて菊池東太写真塾講師を務める。
主な写真展として81年「砂漠のひとびと」、87年「二千日回峰行」、94年「木造モルタル二階建て」、95年「アメリカンウエスト〜ミシシッピの西」、97年「ヤタヘェ 北米最大の先住民、ナバホの20年」、04年「足尾」、同年「DESERTSCAPE」、06年「WATERSCAPE」、09年「白亜紀の海-海底にあったアメリカ-」、13年「DESERTSCAPE 2」、「白亜紀の海 2」を開催。 
著作に『ヤタヘェ〜ナバホ・インディアン保留地から』、『ジェロニモ追跡』、『大地とともに』(共著)、『パウワウ アメリカ・インディアンの世界』、『「アメリカ」ワールド・カルチャーガイド(15)』などがある。

菊池東太写真展「日系アメリカ人強制収容所 WAR RELOCATION CENTER」
開催期間:2015年11月18日~12月1日
営業時間:10時30分~18時30分(最終日は15時まで)
会場:銀座ニコンサロン
住所:東京都中央区銀座7-10-1
TEL:03-5537-1469


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