当時のまま残っていた江崎勝久社長が監禁されていた水防倉庫。手前が江崎氏が脱出して逃げた橋=2009年10月31日、大阪府茨木市 (c)朝日新聞社
「グリコ・森永事件」。高槻市内の公衆電話ボックス内で見つかった犯人からの脅迫状の一部。独特の大阪弁がタイプでうたれていた(c)朝日新聞社
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1984年(昭和59年)10月、「グリコ・森永事件」の犯人グループから名古屋市中村区のスーパー「ユニー」本社にも森永製品を撤去を強要する脅迫状が送られていたことがわかった。このためユニーではこれまでに森永製品を撤去した名古屋市内の13店舗のほか東海、北陸、首都圏でも撤去に追い込まれた。写真は、森永製品を撤去したユニー中村店の菓子売り場(c)朝日新聞社