花巻駅構内で休む花巻電鉄鉛線デハ3は「馬面電車」の愛称で親しまれた。晩年は予備役で、左後方に写っている花巻温泉線からの転入車が主力だった。(撮影/諸河久:1969年5月5日)
かつては狭隘な砂利道だった県道花巻大曲線は拡幅舗装され、軽便軌道の時代は終焉を迎えていた。走り去る路線バスを横目に花巻に向かう鉛線のデハ21。 二ッ堰~一本杉(撮影/諸河久:1969年5月5日)
秋田駅前から続く広小路に敷設された単線軌道を土崎に向かう秋田市電。画面左側の視界には秋田藩主佐竹公の居城、久保田城跡の千秋公園が広がる。秋田駅前~公園前(撮影/諸河久:1965年7月30日)
秋田市内の雑踏を抜けると周辺は稲作地帯となり、土崎市内までは専用軌道を走る。小雨の中を元王子電軌の再生車である34が走ってきた。表鉄砲町~日吉(撮影/諸河久:1965年7月30日)
センターポールの区間である仙台駅前の市電撮影は来訪者の定番だった。市電の背景は旧国鉄仙台駅本屋で、東北新幹線の開業工事で建替えられた。(撮影/諸河久:1967年9月2日)
仙台市電環状線の裁判所前に停車する軽量・コストダウン構造のモハ400型。仙台版都電8000型と呼ばれる外観で、同系車は北陸の富山地方鉄道富山軌道線や加越能鉄道高岡軌道線(現万葉線)で活躍している。(撮影/諸河久:1966年3月3日)
狭隘な田舎道の泥軌道を走り去る梁川行きの電車。このモハ1110は1958年に日本車輛で鋼体化改造され、他車よりも車体幅が若干広く、方向幕も大型化されていた。飯坂東線・摺上荒町~河原町(撮影/諸河久:1967年9月2日)
福島駅前の舗装道路を行く車体幅1.676mの馬面電車。軽便時代から引き継がれた朝顔型連結器や救助網が郷愁を誘う。元町~福島駅前(撮影/諸河久:1967年9月2日)