学習院下を発車して神田川に架かる都電専用の高戸橋を渡る32系統早稲田行きの都電。画面右側は砂利場と呼ばれて、建築材料店が軒を連ねていた。 学習院下~面影橋(撮影/諸河久:1963年2月10日)
半世紀が経過し、マンション群が建ち並ぶ高戸橋風景。左端の高層建築が「サンシャインシティ」で、明治通りの拡幅と神田川の改修工事でやや下流側に橋梁が移設されている。(撮影/諸河久)
早稲田線の面影橋分岐点を直進して戸塚線に入る15系統高田馬場駅前行きの都電。面影橋~戸塚二丁目 (撮影/諸河久:1964年12月23日)
学習院坂の勾配を上って千登世橋をアンダークロスする32系統荒川車庫行きの都電。頭上の目白通りは交通渋滞が頻繁に起きた。学習院下~鬼子母神前(撮影/諸河久:1963年6月30日)
開削工事は学習院下方向にも及んで、周囲の風景を一変させた。学習院坂を下り早稲田に向かう荒川線の都電。鬼子母神前~学習院下 (撮影/諸河久)
雑司ヶ谷坂のアップダウン感を描写するために望遠レンズでフレーミングした作品。雑司ヶ谷から坂を下る32系統早稲田行きの都電。雑司ヶ谷~鬼子母神前(撮影/諸河久:1965年2月11日)
都電の路線に沿って開削工法で道路トンネルが建設されたため、地表の仮線上を走行する荒川線三ノ輪橋行きの都電。鬼子母神前~雑司ヶ谷(撮影/諸河久)
焼鳥屋から漂う香ばしい煙に包まれた鬼子母神前停留所の旧景。生活感溢れる情景は遠い追憶となった。(撮影/諸河久:2003年1月11日)